戊辰戦争とプロイセン
2011年7月9日 歴史 コメント (2)BS歴史館という歴史の番組がありまして。
始まった頃は女王特集とかやってて、エリザベスとかマリーアントワネットとか有名なお姫様を取り上げていて、内容は結構硬派なのに、妙に張り切っている中村うさぎがビミョーだなと思っていたのですが。
先日たまたま見かけた番宣で「発見!戊辰戦争 幻の東北列藩・プロイセン連合」という内容でして、幕末は苦手ですが近代ドイツ史には目がないので録画しておいて見ました。
すごーい!面白かった。
この番組は中村うさぎが進行役なのかと思ったらそうではなく、この回には出てきてなかった(なぜかゴルゴだったけど)。
それはともかく、幕末の会津藩に関する資料は非常に少なく、まだまだ謎が多いというところから始まって、イギリス・フランスに出遅れたプロイセンの動きを示す資料が最近出てきたという話になります。
プロイセンが会津に多く武器を提供していた点、会津を足がかりに蝦夷を手に入れる構想があった点、ビスマルクがいろいろと考えているうちに戊辰戦争が終わってしまった点など、驚きの歴史満載。
スイスの小さな町に、会津藩の役人の子孫という女性がいて、その方が独自に会津で活動をしていた外国人について研究していて、その資料を東京大学に寄贈してるんですって。
すごーいねー!
研究すべき歴史というのは無限にあるね。
ドイツの歴史というのは本当に面白い。
スケールが大きいと思うの。
近代日本が手本にしたというドイツを知るというのは非常に興味深い。
日本人の国民性がドイツ人に似ているというのは偶然なのか、明治時代にドイツ的なものが入ってきたことで近現代の日本人がドイツ的になったのか。
それは会津藩とあんまし関係ないけど。
BS歴史館はいろんなテーマを取り上げているので、けっこう見逃せない。
今週は龍馬暗殺だったのですが見逃しました。でも再放送があるから安心!
その次はハリウッド100年シリーズでまたうさぎが出てくるみたいですけど。
NHKの歴史番組好きなのです。タイムスクープハンターも好きなの。
始まった頃は女王特集とかやってて、エリザベスとかマリーアントワネットとか有名なお姫様を取り上げていて、内容は結構硬派なのに、妙に張り切っている中村うさぎがビミョーだなと思っていたのですが。
先日たまたま見かけた番宣で「発見!戊辰戦争 幻の東北列藩・プロイセン連合」という内容でして、幕末は苦手ですが近代ドイツ史には目がないので録画しておいて見ました。
すごーい!面白かった。
この番組は中村うさぎが進行役なのかと思ったらそうではなく、この回には出てきてなかった(なぜかゴルゴだったけど)。
それはともかく、幕末の会津藩に関する資料は非常に少なく、まだまだ謎が多いというところから始まって、イギリス・フランスに出遅れたプロイセンの動きを示す資料が最近出てきたという話になります。
プロイセンが会津に多く武器を提供していた点、会津を足がかりに蝦夷を手に入れる構想があった点、ビスマルクがいろいろと考えているうちに戊辰戦争が終わってしまった点など、驚きの歴史満載。
スイスの小さな町に、会津藩の役人の子孫という女性がいて、その方が独自に会津で活動をしていた外国人について研究していて、その資料を東京大学に寄贈してるんですって。
すごーいねー!
研究すべき歴史というのは無限にあるね。
ドイツの歴史というのは本当に面白い。
スケールが大きいと思うの。
近代日本が手本にしたというドイツを知るというのは非常に興味深い。
日本人の国民性がドイツ人に似ているというのは偶然なのか、明治時代にドイツ的なものが入ってきたことで近現代の日本人がドイツ的になったのか。
それは会津藩とあんまし関係ないけど。
BS歴史館はいろんなテーマを取り上げているので、けっこう見逃せない。
今週は龍馬暗殺だったのですが見逃しました。でも再放送があるから安心!
その次はハリウッド100年シリーズでまたうさぎが出てくるみたいですけど。
NHKの歴史番組好きなのです。タイムスクープハンターも好きなの。
東京・ベルリン・ウィーン
2009年10月15日 歴史 コメント (2)
通常Penは「疾走するベルリン」を立ち読みしてオワリですが、→こちらは表紙買いしました。
同時にフィガロジャポンの「ウィーン・プラハ・ザグレブ」と言うのも買いました。
どんだけウィーン好きかと問われれば、かなりのウィーン好き。
住むならベルリンですが観光するならウィーンが一番好きです。行ったことある街の中でね。
ところで今号によると、ベルリンの私のお気に入りカフェが、肉屋になっているらしいことがわかりました。
肉屋かよっ!
ウィーンは行くたびに滞在日数が足りず、毎回同じ美術館しか見られないのが残念です。行かなきゃいいんだけど、美術史美術館とシェーンブルン宮殿は必ず行きたくなるのです。
前回はMQにも行きました。
見たこともないくらいかわいらしいシーレのスケッチが展示してあって面白かった。
あんな悲しい時代がくるんだったらシーレは夭折してよかったんじゃないかと思います。
まだちゃんと読んでないけれど読んだら絶対ウィーンに行きたくなるぞ。
オットー・ワグナーが好きなのですが、いまだに郵便局にたどりつけていない。道に迷ってしまうんですもの。
シュピッテナウは見に行ったんだけどナァ。
ベルリンとウィーンは似ているところが多いと思うのです。
時代の流れに翻弄された街というか歴史を作った街であり、現代アートも日々進化している、というところが。
ベルリンはウィーンに比べると歴史が浅いけれど、歴史に与えたインパクト・存在感はウィーンを上回るしね。
特に1920-1945年のあたりが混沌としていて大変興味深い(結局そこ)。
でもウィーンの人はあまり外国人に優しくない。
ドイツ語がヘタだったからなのかなー?スーパーのおばちゃんも冷たかったんだよなー。
同時にフィガロジャポンの「ウィーン・プラハ・ザグレブ」と言うのも買いました。
どんだけウィーン好きかと問われれば、かなりのウィーン好き。
住むならベルリンですが観光するならウィーンが一番好きです。行ったことある街の中でね。
ところで今号によると、ベルリンの私のお気に入りカフェが、肉屋になっているらしいことがわかりました。
肉屋かよっ!
ウィーンは行くたびに滞在日数が足りず、毎回同じ美術館しか見られないのが残念です。行かなきゃいいんだけど、美術史美術館とシェーンブルン宮殿は必ず行きたくなるのです。
前回はMQにも行きました。
見たこともないくらいかわいらしいシーレのスケッチが展示してあって面白かった。
あんな悲しい時代がくるんだったらシーレは夭折してよかったんじゃないかと思います。
まだちゃんと読んでないけれど読んだら絶対ウィーンに行きたくなるぞ。
オットー・ワグナーが好きなのですが、いまだに郵便局にたどりつけていない。道に迷ってしまうんですもの。
シュピッテナウは見に行ったんだけどナァ。
ベルリンとウィーンは似ているところが多いと思うのです。
時代の流れに翻弄された街というか歴史を作った街であり、現代アートも日々進化している、というところが。
ベルリンはウィーンに比べると歴史が浅いけれど、歴史に与えたインパクト・存在感はウィーンを上回るしね。
特に1920-1945年のあたりが混沌としていて大変興味深い(結局そこ)。
でもウィーンの人はあまり外国人に優しくない。
ドイツ語がヘタだったからなのかなー?スーパーのおばちゃんも冷たかったんだよなー。
→この写真を見てこれが誰だかわかる人はあまりいないかと思いますが、
個人的には大きな意味のある人物でした。
オーストリアの極右政党の党首だったハイダー氏が先日交通事故で亡くなりました。
58歳でした。
90歳になる母親の誕生日を祝いに行くところだったそうです。
彼が自由党(当時)投手、じゃなくて党首だった2000年の総選挙で第二党となる議席数を獲得し、第一党の国民党は自由党と連立せざるを得ない状況に陥りました。
2000年といえばEUもこれからユーロを導入しようというところであり、再三ナチスを賞賛する発言を繰り返すハイダーが政治を担うオーストリアを見過ごすことはできなかったわけです。
EU各国は経済制裁措置を取りオーストリアは孤立、オーストリア国内では内政干渉として反EUの機運が高まり、欧州連合始まって以来の最大の危機とも言われておりました。
この状況をニュースで聞いてから、なぜオーストリアでは極右が選挙で支持されるのか非常に疑問で、そこから卒論のテーマを決めたわけです。
そもそもなんでそんなオーストリアの総選挙のニュースなんか見てたんだって話なんですが、ご覧の通り男前だから日本でもニュースやってたんです。
ちょうどブレアが首相になった後で、日本ではたぶん、ヨーロッパの男前な政治家、みたいなのを夕方の民放ニュースかなんかでやってたんじゃないかな。
オーストリアは自分たちをナチスの被害者としてきたため、ドイツのように極右勢力への警戒意識がほとんどないのです。
そのため、戦後はナチスの大物が大統領になったりしてます。
ドイツでは極端な「非ナチ化」のために政治を担う人がいなくて困るくらいだったのとは対照的です。
第三帝国が最初に併合したのがオーストリアだったため、被害者であるという主張を続けてきたのです。
戦後処理の過程で連合国もオーストリアの「被害国」の主張を認めたため、戦後処理は長い間行われていなかったのです。
ヒトラーはオーストリア人で、彼の政治思想の大部分は、若い頃過ごしたウィーンの空気が育てたと言っても過言ではないにも関らず!
ナチスドイツによる併合は、国民投票による「99.97%の賛成」によるものだったにも関らず!
ドイツ人以上に熱心にユダヤ人を迫害していたともいえるにも関らず!
本当にオーストリアは被害者なのか?
WW2前のオーストリアでは何が起きていたのか?
というテーマです。
日本の戦後に似たところがあると思うのです。
無事卒業できました。
読み返すのも恥ずかしいへぼ卒論ですが、テーマの設定は非常によかったと自負しております。
いまだにオーストリアの戦中・戦間・戦後の歴史からは目が離せません。
特に歴史教育。彼らは自国の歴史をどう教えてきたのか?
長らく戦時中の出来事に目をつぶってきた大人へインタビューを敢行した子どもたちとその指導者たる教師の受けた逆風は?歴史の教科書には何が書いてあるのか?
それはともかく、まだ58歳という若さで亡くなるとは。
人生ってわからないな。
個人的には大きな意味のある人物でした。
オーストリアの極右政党の党首だったハイダー氏が先日交通事故で亡くなりました。
58歳でした。
90歳になる母親の誕生日を祝いに行くところだったそうです。
彼が自由党(当時)投手、じゃなくて党首だった2000年の総選挙で第二党となる議席数を獲得し、第一党の国民党は自由党と連立せざるを得ない状況に陥りました。
2000年といえばEUもこれからユーロを導入しようというところであり、再三ナチスを賞賛する発言を繰り返すハイダーが政治を担うオーストリアを見過ごすことはできなかったわけです。
EU各国は経済制裁措置を取りオーストリアは孤立、オーストリア国内では内政干渉として反EUの機運が高まり、欧州連合始まって以来の最大の危機とも言われておりました。
この状況をニュースで聞いてから、なぜオーストリアでは極右が選挙で支持されるのか非常に疑問で、そこから卒論のテーマを決めたわけです。
そもそもなんでそんなオーストリアの総選挙のニュースなんか見てたんだって話なんですが、ご覧の通り男前だから日本でもニュースやってたんです。
ちょうどブレアが首相になった後で、日本ではたぶん、ヨーロッパの男前な政治家、みたいなのを夕方の民放ニュースかなんかでやってたんじゃないかな。
オーストリアは自分たちをナチスの被害者としてきたため、ドイツのように極右勢力への警戒意識がほとんどないのです。
そのため、戦後はナチスの大物が大統領になったりしてます。
ドイツでは極端な「非ナチ化」のために政治を担う人がいなくて困るくらいだったのとは対照的です。
第三帝国が最初に併合したのがオーストリアだったため、被害者であるという主張を続けてきたのです。
戦後処理の過程で連合国もオーストリアの「被害国」の主張を認めたため、戦後処理は長い間行われていなかったのです。
ヒトラーはオーストリア人で、彼の政治思想の大部分は、若い頃過ごしたウィーンの空気が育てたと言っても過言ではないにも関らず!
ナチスドイツによる併合は、国民投票による「99.97%の賛成」によるものだったにも関らず!
ドイツ人以上に熱心にユダヤ人を迫害していたともいえるにも関らず!
本当にオーストリアは被害者なのか?
WW2前のオーストリアでは何が起きていたのか?
というテーマです。
日本の戦後に似たところがあると思うのです。
無事卒業できました。
読み返すのも恥ずかしいへぼ卒論ですが、テーマの設定は非常によかったと自負しております。
いまだにオーストリアの戦中・戦間・戦後の歴史からは目が離せません。
特に歴史教育。彼らは自国の歴史をどう教えてきたのか?
長らく戦時中の出来事に目をつぶってきた大人へインタビューを敢行した子どもたちとその指導者たる教師の受けた逆風は?歴史の教科書には何が書いてあるのか?
それはともかく、まだ58歳という若さで亡くなるとは。
人生ってわからないな。
今日ジムで自転車マッシーンをこぎながら、人の見てるテレビをチラ見してましたら、話題騒然のブラジル人予言者出てたね。
日本は沈むって、言ってる今のうちは金が儲かって、予言の年を迎える頃には忘れられてるなんて、ボロい商売だよね。
そのあと「ヒトラーも予言者だった」ってのにはビックリしたね。
出てくるヒトラーの写真見りゃーわかるじゃん
目がイってる
地球温暖化を予言してたんだってサ
なんか、大陸がどうのこうのってテロップ出てたな
2014年に注目だって
ハハハ
ああいうのって、アリなの?
と思いつつも、Mein Kampfを読んだことがないのでヒトラーが本当にクレイジーだったかどうかは考えたことはありません。
十中八九クレイジーだったんだろうなと思うのですが、じゃあなぜ成功を収めることができたのか、っていう方面に興味があるので。
うーん。
ちょうど通勤本がなくなったし、今度読もうかな。
日本は沈むって、言ってる今のうちは金が儲かって、予言の年を迎える頃には忘れられてるなんて、ボロい商売だよね。
そのあと「ヒトラーも予言者だった」ってのにはビックリしたね。
出てくるヒトラーの写真見りゃーわかるじゃん
目がイってる
地球温暖化を予言してたんだってサ
なんか、大陸がどうのこうのってテロップ出てたな
2014年に注目だって
ハハハ
ああいうのって、アリなの?
と思いつつも、Mein Kampfを読んだことがないのでヒトラーが本当にクレイジーだったかどうかは考えたことはありません。
十中八九クレイジーだったんだろうなと思うのですが、じゃあなぜ成功を収めることができたのか、っていう方面に興味があるので。
うーん。
ちょうど通勤本がなくなったし、今度読もうかな。
役に立たないセンター試験世界史Bの傾向と対策
2008年1月20日 歴史 コメント (4)早いものでもうセンター試験の時期ですね。
毎年恒例、世界史Bを受験しました。
今年の得点は、49点!
ひえぇー
すごい難しかった。
年々難しくなっている気がします。
もちろん記憶の劣化もありますけど、世界史の出題傾向が、アジア重視になっていっているせいもあると思うのです。
10年近くほぼ毎年解いてるから、その傾向も把握してるもんね。
出題形式はいつもなにかテーマを基にした総合的な知識を問うようになっているので、たとえば「暦」を軸にヨーロッパだったりアジアの歴史について問われるようになってるのね。
ちなみに暦は私が受験した年の中央大学文学部の問題です。すごく難しかったよアレは。
なので「ヨーロッパ史」とか「中国史」というくくりはあまりセンター試験には関係なく、その相互のつながりというか、この時代中国はどうだったとかインドはどうだったってのをわかってないとセンターは難しいのです。
そういう問題形式が、たとえば今年はアジア・アフリカ・ラテンアメリカなどを中心としたものが非常に多かった。特に中国。
もーぜんっぜんわからんよ。
アフリカの歴史なんて全然わからん。「フェニキア人」しかわからん。ハンニバル以降は植民地時代が来るまでアフリカのことはわからんのです。
私が高校生だったころはそういう歴史の授業だったんだよ。ヨーロッパをまず全部やって、そのあと中国史だったの。
時代を感じるよね。
たしかに、日本人がカノッサの屈辱とか勉強するよりは科挙制度の起こりを勉強したほうが役に立つと思うけどね。
しかし今年はむずかしかったなー。
歴史の授業が嫌いな人ってこういう感じなんだなーと思った。
微妙に聞いたこと単語が山ほどでてくるんだけど、正確な意味はわかんないの。
センター試験の問題って世界史に限らないと思うんだけど、選択肢の中の、正解でないものって、明らかに間違いなんだよね。
へんな言い方だな。つまりたとえば、
「真珠湾攻撃の後、ドイツはポーランドに侵攻した」
みたいな、ありえない選択肢があるんだよね。
だからちゃんとわかっている事柄については自然と答えが見えてくるんだよね。
それが今回ほっとんど見えなかったです。
哀しかった!
ボロブドゥールとアチェだけだったな見えてきたのは。ありゃサービス問題だな。
中国史とインド史の復習が必要です。
毎年恒例、世界史Bを受験しました。
今年の得点は、49点!
ひえぇー
すごい難しかった。
年々難しくなっている気がします。
もちろん記憶の劣化もありますけど、世界史の出題傾向が、アジア重視になっていっているせいもあると思うのです。
10年近くほぼ毎年解いてるから、その傾向も把握してるもんね。
出題形式はいつもなにかテーマを基にした総合的な知識を問うようになっているので、たとえば「暦」を軸にヨーロッパだったりアジアの歴史について問われるようになってるのね。
ちなみに暦は私が受験した年の中央大学文学部の問題です。すごく難しかったよアレは。
なので「ヨーロッパ史」とか「中国史」というくくりはあまりセンター試験には関係なく、その相互のつながりというか、この時代中国はどうだったとかインドはどうだったってのをわかってないとセンターは難しいのです。
そういう問題形式が、たとえば今年はアジア・アフリカ・ラテンアメリカなどを中心としたものが非常に多かった。特に中国。
もーぜんっぜんわからんよ。
アフリカの歴史なんて全然わからん。「フェニキア人」しかわからん。ハンニバル以降は植民地時代が来るまでアフリカのことはわからんのです。
私が高校生だったころはそういう歴史の授業だったんだよ。ヨーロッパをまず全部やって、そのあと中国史だったの。
時代を感じるよね。
たしかに、日本人がカノッサの屈辱とか勉強するよりは科挙制度の起こりを勉強したほうが役に立つと思うけどね。
しかし今年はむずかしかったなー。
歴史の授業が嫌いな人ってこういう感じなんだなーと思った。
微妙に聞いたこと単語が山ほどでてくるんだけど、正確な意味はわかんないの。
センター試験の問題って世界史に限らないと思うんだけど、選択肢の中の、正解でないものって、明らかに間違いなんだよね。
へんな言い方だな。つまりたとえば、
「真珠湾攻撃の後、ドイツはポーランドに侵攻した」
みたいな、ありえない選択肢があるんだよね。
だからちゃんとわかっている事柄については自然と答えが見えてくるんだよね。
それが今回ほっとんど見えなかったです。
哀しかった!
ボロブドゥールとアチェだけだったな見えてきたのは。ありゃサービス問題だな。
中国史とインド史の復習が必要です。
SWEDENのことをスエーデンとかスェーデンとかいろいろ書く人がいて、日本語って難しいよねと思います。
スウェーデンが正しいともいえないしね。英語の発音はどちらかといえばスウィーデンだと思うし、スウェーデン語はスウェーデンじゃないしね。
それを言い出したらキリが無いけどね。
ドイツっていうのはもはや日本語だよね。
カタカナの日本語もあるんだよね。
さてハプスブルクナイト最終日はもちろんフランツ=ヨーゼフでした。はじめ30分見逃しましたが堪能しました。
すごい人だよ彼は。
19世紀の残り物のようで、欧州連合の先駆とも言える。
ハプスブルクの末裔オットー・ハプスブルクは欧州議会議員なんだよ。
感動的でした。
ウィーン超行きたい。
ドイツ語をちゃんと(?)勉強したあとにオーストリアドイツ語を聞くと、方言がかなりきついことに気が付きます。
方言ていう訳がdialektに当てはまるのかなという気がしますが。地域特有の発音のことね。
eiをエイと発音するのでオランダ語みたい。
ドイツ語のeiはアイと発音するのです。
だからアインシュタインはEinsteinとつづるんだよ。
英語人はエインステインというんだよ。
ウィーン行きたい。
スウェーデンが正しいともいえないしね。英語の発音はどちらかといえばスウィーデンだと思うし、スウェーデン語はスウェーデンじゃないしね。
それを言い出したらキリが無いけどね。
ドイツっていうのはもはや日本語だよね。
カタカナの日本語もあるんだよね。
さてハプスブルクナイト最終日はもちろんフランツ=ヨーゼフでした。はじめ30分見逃しましたが堪能しました。
すごい人だよ彼は。
19世紀の残り物のようで、欧州連合の先駆とも言える。
ハプスブルクの末裔オットー・ハプスブルクは欧州議会議員なんだよ。
感動的でした。
ウィーン超行きたい。
ドイツ語をちゃんと(?)勉強したあとにオーストリアドイツ語を聞くと、方言がかなりきついことに気が付きます。
方言ていう訳がdialektに当てはまるのかなという気がしますが。地域特有の発音のことね。
eiをエイと発音するのでオランダ語みたい。
ドイツ語のeiはアイと発音するのです。
だからアインシュタインはEinsteinとつづるんだよ。
英語人はエインステインというんだよ。
ウィーン行きたい。
ハプスブルクとウィーン
2007年11月12日 歴史今日から3日間BSハイビジョンでハプスブルク帝国の特集と銘打って、マクシミリアン1世、マリア=テレジア、フランツ=ヨーゼフを軸にしたヨーロッパ多民族番組をやってます。
1時間で終わるかと思ったら2時間番組でびっくり。
しかし大変な力の入れようで、大変面白かった。
登場する学者やハプスブルクの子孫に、「あなたの民族は?どの言葉を話しますか?」と質問するの。
みんないろんなことを言うし、みんな複数言語を操ります。
ハルシュタットの歴史学者はアラビア語までたしなみます。
うーむ陸続きすごい。
ベルギーの青年は「日本はずっと日本だったかもしれないけど、僕らはそうはいかなかったんだ」と言ってました。
私がどんなに努力をしても理解することができない感覚というのはヨーロッパにたくさんありまして、その代表が多民族国家と宗教戦争なのね。でも彼らにしてみれば鎖国とか意味わかんないんだろうね。
民族と宗教の問題を併せ持ってたハプスブルク帝国には昔から興味があるのです。宗教についていえばハプスブルク帝国というよりはヨーロッパ全土ですが。
すごく面白かったよこの番組。
主に中東欧がたくさん出てくるのですが、ああやって見ると私ウィーンがヨーロッパで一番好きな街のひとつだなーとしみじみ思います。
プラハもブダペストもとてもきれいな街なんだけど、ウィーンにはかなわんね。キレイなだけじゃダメなのよ。
近代のコスモポリスでメトロポリスだっただけあって、その多民族っぷりが他の街よりも濃いわけで、だから独特の雰囲気があるんだろうなと思います。
パリは都会過ぎるの。でかすぎるの。東京に比べたら大きくないかもしれませんが、パリの持つ歴史とウィーンの歴史を比べてみれば、その民族の多様性はウィーンのほうがずっと複雑だと思います。
そういう雰囲気っていうのは現代の東京のようなカオティックな文化の混ざり合いとはまた違うと思います。当時の人にしてみるとカオスカルチャーだったのかしらね。
カフカやモーツァルトやクリムトを好む理由はここにあったのか。
ツヴァイクも好きだもんな。
私にしては珍しい横につながった好みだわ。
番組見ててところどころに「15世紀から20世紀まで続く繁栄」と出てくるのですが、それを聞くと「ああ20世紀はもう歴史なのか」と思えてきます。
20世紀は過ぎ去った時代かぁ。
1時間で終わるかと思ったら2時間番組でびっくり。
しかし大変な力の入れようで、大変面白かった。
登場する学者やハプスブルクの子孫に、「あなたの民族は?どの言葉を話しますか?」と質問するの。
みんないろんなことを言うし、みんな複数言語を操ります。
ハルシュタットの歴史学者はアラビア語までたしなみます。
うーむ陸続きすごい。
ベルギーの青年は「日本はずっと日本だったかもしれないけど、僕らはそうはいかなかったんだ」と言ってました。
私がどんなに努力をしても理解することができない感覚というのはヨーロッパにたくさんありまして、その代表が多民族国家と宗教戦争なのね。でも彼らにしてみれば鎖国とか意味わかんないんだろうね。
民族と宗教の問題を併せ持ってたハプスブルク帝国には昔から興味があるのです。宗教についていえばハプスブルク帝国というよりはヨーロッパ全土ですが。
すごく面白かったよこの番組。
主に中東欧がたくさん出てくるのですが、ああやって見ると私ウィーンがヨーロッパで一番好きな街のひとつだなーとしみじみ思います。
プラハもブダペストもとてもきれいな街なんだけど、ウィーンにはかなわんね。キレイなだけじゃダメなのよ。
近代のコスモポリスでメトロポリスだっただけあって、その多民族っぷりが他の街よりも濃いわけで、だから独特の雰囲気があるんだろうなと思います。
パリは都会過ぎるの。でかすぎるの。東京に比べたら大きくないかもしれませんが、パリの持つ歴史とウィーンの歴史を比べてみれば、その民族の多様性はウィーンのほうがずっと複雑だと思います。
そういう雰囲気っていうのは現代の東京のようなカオティックな文化の混ざり合いとはまた違うと思います。当時の人にしてみるとカオスカルチャーだったのかしらね。
カフカやモーツァルトやクリムトを好む理由はここにあったのか。
ツヴァイクも好きだもんな。
私にしては珍しい横につながった好みだわ。
番組見ててところどころに「15世紀から20世紀まで続く繁栄」と出てくるのですが、それを聞くと「ああ20世紀はもう歴史なのか」と思えてきます。
20世紀は過ぎ去った時代かぁ。
シンポジウム強化月間です
2007年10月19日 歴史これまでシンポジウムなんて行ったこと無いんだけどね。
大使館情報はいいよ。地味だけど面白いイベント情報が満載だよ。特にスウェーデン大使館は北欧系のマニアックイベントが満載で。
で、この日はゲーテ主催のシンポジウム「独仏教科書対話」です。
教科書対話の祖であるゲオルク・エッカート国際教科書研究所の研究員やフランス教育省の人たちを招いてパネルディスカッション。
もう半年前から楽しみでした。
面白かったよー。
ドイツ語を聞き取ろうとして、前半は通訳聞いてなかったのですが後半は内容に集中することにした。パネルディスカッションはどうしてもフランス語の訳を聞かないとわかんないからさ。
共通歴史教科書は、相互和解の道具となりえるのかそうではないのかという点を巡って見解がわかれていたので特に面白かった。フランスの研究者は、和解の道具というよりは、多様な価値観の存在を理解することを目指している感じでした。そこはやっぱり他民族国家だし、国家の枠を超えたEU市民の目指すところなんだなぁと思った。
やっぱり彼らは「EU共通の歴史教科書」というのはありえないようなことも言ってました。
その反面、日本のパネリストはやる気が無い。ディスカッションに対するやる気ではなくて教科書対話に対するやる気が。
政府の支援は無いからカネがない、市民団体は圧力をかけてくる、誰もやりたくないのに選ばれちゃったから仕方なく教科書委員をやってる、ヨーロッパと日本は事情が違うからうまく行かない、みたいな感じでした。
ダメなサラリーマンの言い訳みたい。
日本の場合は、主体性を持って教科書対話をやろうとしていないからうまく行かないんだなと思った。
そこはヨーロッパと事情が違うところだよね。超国家の取り組みの必要性は東アジアでは今のところないからね。東アジア連合を作る予定はないわけじゃん。
東アジアには支配国と被支配国が同時に存在し、その相反する歴史的事実に共通項はないので共通の歴史教科書というのは困難なのだ、と日本のパネリストが言ってました。
たしかに、ヨーロッパには植民地はないからね。彼らは常に支配者だもんね。
そういう、これまで知らなかった東アジアにおける教科書対話の難しさがわかったのは興味深い。
今度は彼らの言い訳のひとつである「市民社会の存在があるとはいえない現在の中国との対話は不可能に近い。研究者は自由に発言することができない」という問題点を克服したドイツ・ポーランドの教科書対話について話が聞けたらおもしろいのになぁ。
この言い訳を聞いたときはびっくりしちゃったよ。
この壇上に座ってるんだから、ドイツとポーランドが教科書対話を繰り返してきたことは知ってて当然だと思ったのですが、その上での発言だったのかしら。
今日の聴衆はマニアの集まりではなく、研究者が多かったみたいです。質疑応答の時間に千葉大の先生が鋭く指摘してた。「せっかくのこの機会がこれでは『できない論』で終わってしまう」って。
そのとーり!
あの人誰だったんだろう。
大使館情報はいいよ。地味だけど面白いイベント情報が満載だよ。特にスウェーデン大使館は北欧系のマニアックイベントが満載で。
で、この日はゲーテ主催のシンポジウム「独仏教科書対話」です。
教科書対話の祖であるゲオルク・エッカート国際教科書研究所の研究員やフランス教育省の人たちを招いてパネルディスカッション。
もう半年前から楽しみでした。
面白かったよー。
ドイツ語を聞き取ろうとして、前半は通訳聞いてなかったのですが後半は内容に集中することにした。パネルディスカッションはどうしてもフランス語の訳を聞かないとわかんないからさ。
共通歴史教科書は、相互和解の道具となりえるのかそうではないのかという点を巡って見解がわかれていたので特に面白かった。フランスの研究者は、和解の道具というよりは、多様な価値観の存在を理解することを目指している感じでした。そこはやっぱり他民族国家だし、国家の枠を超えたEU市民の目指すところなんだなぁと思った。
やっぱり彼らは「EU共通の歴史教科書」というのはありえないようなことも言ってました。
その反面、日本のパネリストはやる気が無い。ディスカッションに対するやる気ではなくて教科書対話に対するやる気が。
政府の支援は無いからカネがない、市民団体は圧力をかけてくる、誰もやりたくないのに選ばれちゃったから仕方なく教科書委員をやってる、ヨーロッパと日本は事情が違うからうまく行かない、みたいな感じでした。
ダメなサラリーマンの言い訳みたい。
日本の場合は、主体性を持って教科書対話をやろうとしていないからうまく行かないんだなと思った。
そこはヨーロッパと事情が違うところだよね。超国家の取り組みの必要性は東アジアでは今のところないからね。東アジア連合を作る予定はないわけじゃん。
東アジアには支配国と被支配国が同時に存在し、その相反する歴史的事実に共通項はないので共通の歴史教科書というのは困難なのだ、と日本のパネリストが言ってました。
たしかに、ヨーロッパには植民地はないからね。彼らは常に支配者だもんね。
そういう、これまで知らなかった東アジアにおける教科書対話の難しさがわかったのは興味深い。
今度は彼らの言い訳のひとつである「市民社会の存在があるとはいえない現在の中国との対話は不可能に近い。研究者は自由に発言することができない」という問題点を克服したドイツ・ポーランドの教科書対話について話が聞けたらおもしろいのになぁ。
この言い訳を聞いたときはびっくりしちゃったよ。
この壇上に座ってるんだから、ドイツとポーランドが教科書対話を繰り返してきたことは知ってて当然だと思ったのですが、その上での発言だったのかしら。
今日の聴衆はマニアの集まりではなく、研究者が多かったみたいです。質疑応答の時間に千葉大の先生が鋭く指摘してた。「せっかくのこの機会がこれでは『できない論』で終わってしまう」って。
そのとーり!
あの人誰だったんだろう。
昨日は春に働いてたとこの人たちと飲んできました。
みんな相変わらず面白かったです。
でも最近の会社の様子を聞いて、戻りたいとは微塵も思いませんでした。
伝統ある日本企業では、ダイバーシティにはほど遠い。
学歴と勤務年数がモノをいいます(@_@)
ハケンとしては大人気なめるちゃんですが、正社員としてはいばらの道が続きます。
今日二つ不採用通知いただきました。
ビッグカンパニーばっかり受けてるからね。
ビッグっていうか有名企業。誰が聞いても知ってるようなとこ。
そろそろ真面目に考えよう。いや最初から真面目なんだけど。
それはともかく、今日はペアレンツとともに、歌舞伎を鑑賞してきました。
ちょっと前に「社会人のための歌舞伎入門」というチラシをママがもらってきて、これはいい!ということでチケットを買ったのです。
勧進帳ではなかったですが、俊寛僧都なので平家物語好きとしては楽しみでした。
1等席でも5千円とお手ごろ価格なのがよい。
とても楽しかった!
歌舞伎って、どれでも派手なわけじゃないのね。
今日観た「平家女護島」は、流人が主役だから、すんごい地味。歌舞伎とはいえ流人は地味なんだーと感心しました。
悪役の役人が一番派手でした。
ほんと大衆演劇って感じだった。「入門」なので短いし、解説書ももらえて、そこに台本が全部出てたから、あらかじめ読んでおくことができるんだけど、読んでおけばストーリーもわかるし名に言ってるかも大体わかる。長唄はリスニング難しいけどね。
つい笑っちゃうしぐさだったりセリフだったりあるし、船出のシーンは、ストーリー知ってるのに「ちょっと!船出ちゃうよ!早く早く!」と思うし、すごくわかりやすかった。江戸版ドリフだな。
かなり前のほうのど真ん中だったので、見得も良く見えました。もうちょっと下手よりでもよかったなぁ。
あ、俊寛は松本幸四郎だったの。当たり役なんですって。二枚目は染五郎でした。ホント「色男」だった。もやしっこ。
女方(と本来は書くらしい。入門書に書いてあった)ってほんとすごいよね。女にしか見えないもん。見習おう。
とにかくとても楽しかった!
今度は派手なのが見たい。
この「社会人のための歌舞伎入門」、11月と12月も開催されて、12月は吉右衛門の忠臣蔵なの。しかも12月13日。1日違うけど。
また行こうかなー(@_@)
みんな相変わらず面白かったです。
でも最近の会社の様子を聞いて、戻りたいとは微塵も思いませんでした。
伝統ある日本企業では、ダイバーシティにはほど遠い。
学歴と勤務年数がモノをいいます(@_@)
ハケンとしては大人気なめるちゃんですが、正社員としてはいばらの道が続きます。
今日二つ不採用通知いただきました。
ビッグカンパニーばっかり受けてるからね。
ビッグっていうか有名企業。誰が聞いても知ってるようなとこ。
そろそろ真面目に考えよう。いや最初から真面目なんだけど。
それはともかく、今日はペアレンツとともに、歌舞伎を鑑賞してきました。
ちょっと前に「社会人のための歌舞伎入門」というチラシをママがもらってきて、これはいい!ということでチケットを買ったのです。
勧進帳ではなかったですが、俊寛僧都なので平家物語好きとしては楽しみでした。
1等席でも5千円とお手ごろ価格なのがよい。
とても楽しかった!
歌舞伎って、どれでも派手なわけじゃないのね。
今日観た「平家女護島」は、流人が主役だから、すんごい地味。歌舞伎とはいえ流人は地味なんだーと感心しました。
悪役の役人が一番派手でした。
ほんと大衆演劇って感じだった。「入門」なので短いし、解説書ももらえて、そこに台本が全部出てたから、あらかじめ読んでおくことができるんだけど、読んでおけばストーリーもわかるし名に言ってるかも大体わかる。長唄はリスニング難しいけどね。
つい笑っちゃうしぐさだったりセリフだったりあるし、船出のシーンは、ストーリー知ってるのに「ちょっと!船出ちゃうよ!早く早く!」と思うし、すごくわかりやすかった。江戸版ドリフだな。
かなり前のほうのど真ん中だったので、見得も良く見えました。もうちょっと下手よりでもよかったなぁ。
あ、俊寛は松本幸四郎だったの。当たり役なんですって。二枚目は染五郎でした。ホント「色男」だった。もやしっこ。
女方(と本来は書くらしい。入門書に書いてあった)ってほんとすごいよね。女にしか見えないもん。見習おう。
とにかくとても楽しかった!
今度は派手なのが見たい。
この「社会人のための歌舞伎入門」、11月と12月も開催されて、12月は吉右衛門の忠臣蔵なの。しかも12月13日。1日違うけど。
また行こうかなー(@_@)
若い読者のための世界史
2007年7月23日 歴史 コメント (6)
久々に歴史の話。
ロードレースよりはマニアックで無いと思います。
昨日のツールめちゃおもしろかったんだよねー。
高校を卒業すると、もっと勉強しときゃよかったと思うことがたくさんあります。
その筆頭が、日本史・世界史だと思います。
物理だという人もいますが(@_@)
歴史を学ぶ必要性はもう百万回も語ってきたので省きますが、歴史というのは「あーもっと勉強しておけばよかったー」と思ったときにどうやって学んだらよいものか、難しいと思うのです。
本屋の歴史コーナーにある概説モノはハードカバーで分厚く、チラッと見ただけでも意味がわからず、簡単に心が折れます。
「3日でわかる世界史」とかそういう類はなんだかうさんくさいです。
なーんかどれ読んだらいいのか全然わからーんと考えてるうちに勉強熱も冷めてしまいがちです。
そんなアナタにお勧めなのがこの本。
かなり分厚く、値段も4000円と高いのですが、買う価値のある本です。買わなくてもいいけど。図書館でも充分だけど。
学者が10歳(だったかな?)の少女に語りかける形式なので、非常にわかりやすい。かといって子供向けというわけではない。
世界史における重要な出来事がどのようにつながってきているのか、丁寧に描かれていると思います。
この本を一読して、興味のある出来事だったり人物名だったりから知識を広げていけばいいと思うのです。
もう受験生じゃないので、好きなとこだけ勉強すればいいんだもの。
受験生じゃないから、歴史小説ばっかり読んだっていいんだもの。史実を知りたければ文献を探せばいいし。
あー!読みたい。
帰ったら読もうっと。
ロードレースよりはマニアックで無いと思います。
昨日のツールめちゃおもしろかったんだよねー。
高校を卒業すると、もっと勉強しときゃよかったと思うことがたくさんあります。
その筆頭が、日本史・世界史だと思います。
物理だという人もいますが(@_@)
歴史を学ぶ必要性はもう百万回も語ってきたので省きますが、歴史というのは「あーもっと勉強しておけばよかったー」と思ったときにどうやって学んだらよいものか、難しいと思うのです。
本屋の歴史コーナーにある概説モノはハードカバーで分厚く、チラッと見ただけでも意味がわからず、簡単に心が折れます。
「3日でわかる世界史」とかそういう類はなんだかうさんくさいです。
なーんかどれ読んだらいいのか全然わからーんと考えてるうちに勉強熱も冷めてしまいがちです。
そんなアナタにお勧めなのがこの本。
かなり分厚く、値段も4000円と高いのですが、買う価値のある本です。買わなくてもいいけど。図書館でも充分だけど。
学者が10歳(だったかな?)の少女に語りかける形式なので、非常にわかりやすい。かといって子供向けというわけではない。
世界史における重要な出来事がどのようにつながってきているのか、丁寧に描かれていると思います。
この本を一読して、興味のある出来事だったり人物名だったりから知識を広げていけばいいと思うのです。
もう受験生じゃないので、好きなとこだけ勉強すればいいんだもの。
受験生じゃないから、歴史小説ばっかり読んだっていいんだもの。史実を知りたければ文献を探せばいいし。
あー!読みたい。
帰ったら読もうっと。
ロシア皇帝の至宝展@江戸東京博物館
2007年5月19日 歴史朝早くから両国へ行ってきました。
結構人が入っててビックリしました。
ロシアの歴史って、最初のうちはアジア史で、途中からヨーロッパ史になっていくところが非常に大変だと思います。
「タタールのくびき」って久々に聞いたわ。
本当に大きい国だなぁ。
ロシアの宝物って、けばいよね。
キリスト教も東に行けば行くほど派手好みになっていると思います。
しかしまー宝石の使い方がハンパじゃないね。
装飾品だけでなくイコンや福音書の入れ物にもふんだんに使われておりました。研磨の技術は高くないから、結構いびつな形をしたエメラルドやサファイヤなんかがちりばめられておりました。
ダイヤとかすごかったよ。
でもフランスとかオーストリアとかと比べると、優雅さがないというか、繊細さに欠けるというか。なんでかしらね。
ロマノフ朝の紋章も双頭の鷲なんだけど、ハプスブルクのものと比べてもなんかどんくさい。
パールの刺繍なんか、ニワトリみたいだったもん。色が白くてのっぺりしてて。
双頭の鷲のパターン生地もあったんだけど、なぜか眉毛が(@_@)
へんなの。
周りの人たちがみんな口々に「重たそうねー」という感想を述べていたのがすごく可笑しかった。ペンダントとか、祭衣とかマントとか、装飾も華美で布もじゅうたんみたいなのが多いんだよね。「肩凝らないのかしらねー」ってみんな言ってた。
さて目玉のクレムリンエッグは一個だけ、会場の一番奥に飾ってありました。あんなたまごをうさぎが運んできたらうれしいね。
すごい細工だったよ。フランス系ロシア人の手によるもので、世界に50数個あるらしい。
ほとんどロシアにあるんだろうけどさ。
もっと見たいなー。
出口の手前に家系図と年表があった。入口に置いて欲しいと思いました。
やたら露土戦争があってまったく区別がつきません。
スウェーデン史も身に付いてないのでよくわかりません。
ロシア皇帝の名前もバリエーションが少なくてよくわかりません。
むふー。
おみやげコーナーが面白かったよ。
ちょうどこないだCourrie Japonを買って、ロシアにおける日本文化という記事を読んだばっかりだったのです。
7人のサムライウォッカが売られてて面白かった。
マトリョーシカをイラスト化した文房具がとてもかわいかった。
ロシアにおいて日本文化のロシア化が進められているならば、日本におけるロシア文化の日本化も行われるわな。
理屈はともかくかわいかったんで、ママがクリアファイルとマグネット買ってた。
ロシア雑貨かわいいかったな。
東欧グッズってかわいいなやっぱり。
なんで文化大革命グッズはちっともかわいくないんだろうね?同じ共産主義なのに。
ポスターひとつとっても、センスが感じられないわよね。
やはりモスクワとサンクトペテルブルクは行きたい。
エルミタージュを見ずには歴史好きを語れないな。
結構人が入っててビックリしました。
ロシアの歴史って、最初のうちはアジア史で、途中からヨーロッパ史になっていくところが非常に大変だと思います。
「タタールのくびき」って久々に聞いたわ。
本当に大きい国だなぁ。
ロシアの宝物って、けばいよね。
キリスト教も東に行けば行くほど派手好みになっていると思います。
しかしまー宝石の使い方がハンパじゃないね。
装飾品だけでなくイコンや福音書の入れ物にもふんだんに使われておりました。研磨の技術は高くないから、結構いびつな形をしたエメラルドやサファイヤなんかがちりばめられておりました。
ダイヤとかすごかったよ。
でもフランスとかオーストリアとかと比べると、優雅さがないというか、繊細さに欠けるというか。なんでかしらね。
ロマノフ朝の紋章も双頭の鷲なんだけど、ハプスブルクのものと比べてもなんかどんくさい。
パールの刺繍なんか、ニワトリみたいだったもん。色が白くてのっぺりしてて。
双頭の鷲のパターン生地もあったんだけど、なぜか眉毛が(@_@)
へんなの。
周りの人たちがみんな口々に「重たそうねー」という感想を述べていたのがすごく可笑しかった。ペンダントとか、祭衣とかマントとか、装飾も華美で布もじゅうたんみたいなのが多いんだよね。「肩凝らないのかしらねー」ってみんな言ってた。
さて目玉のクレムリンエッグは一個だけ、会場の一番奥に飾ってありました。あんなたまごをうさぎが運んできたらうれしいね。
すごい細工だったよ。フランス系ロシア人の手によるもので、世界に50数個あるらしい。
ほとんどロシアにあるんだろうけどさ。
もっと見たいなー。
出口の手前に家系図と年表があった。入口に置いて欲しいと思いました。
やたら露土戦争があってまったく区別がつきません。
スウェーデン史も身に付いてないのでよくわかりません。
ロシア皇帝の名前もバリエーションが少なくてよくわかりません。
むふー。
おみやげコーナーが面白かったよ。
ちょうどこないだCourrie Japonを買って、ロシアにおける日本文化という記事を読んだばっかりだったのです。
7人のサムライウォッカが売られてて面白かった。
マトリョーシカをイラスト化した文房具がとてもかわいかった。
ロシアにおいて日本文化のロシア化が進められているならば、日本におけるロシア文化の日本化も行われるわな。
理屈はともかくかわいかったんで、ママがクリアファイルとマグネット買ってた。
ロシア雑貨かわいいかったな。
東欧グッズってかわいいなやっぱり。
なんで文化大革命グッズはちっともかわいくないんだろうね?同じ共産主義なのに。
ポスターひとつとっても、センスが感じられないわよね。
やはりモスクワとサンクトペテルブルクは行きたい。
エルミタージュを見ずには歴史好きを語れないな。
物語 スウェーデン史―バルト大国を彩った国王、女王たち
2007年5月18日 歴史
副題にある通り、国王・女王を軸に描き出されたスウェーデン史。
そのため、第1章はすでにデンマークの支配下です。
北欧も大陸と同じく、ナショナルな枠組みで歴史を描き出すのは非常に難しく、フィンランドもノルウェーも20世紀になるまで独立してないし、スウェーデン南部は何度もデンマークになったりしてます。
その辺の難しさが以前読んだ中公新書「物語北欧の歴史」には切々と書かれていたのですが、こちら(著者は前述書と同じ)はその辺の複雑な事情を押し切って(やや強引に)スウェーデンに焦点を当てています。
切り口としてはわかりやすくていいと思います。
が、著者は歴史家ではなくジャーナリストというか外交官というか、つまり歴史の専門家ではありません。
新書レベルではちょうどよかったのですが、ハードカバーとなるとちょっと・・・。
特に20世紀まで時代がさかのぼると、王権もかなり弱まっており、国王を中心とした歴史を描くことに限界が感じられます。
現王と先王まで下ってくると、歴史というより著者の思い出話です。
やはり餅は餅屋でないとダメですね。
しかし残念なことに日本にはどうやらスウェーデン史の専門家はいないようで、スウェーデンの歴史となるとこの人しか出てきません。
スウェーデンに対する著者の愛は伝わってくるのですが、2次大戦におけるスウェーデンのジレンマに興味のある私にはだいぶ物足りないものでした。
ただ、基本的な歴史の流れをたどるにはいいのかなという気がします。図書館で借りて正解です。
スウェーデンにも、モスクワの大寒波のせいでロシアに勝てなかった国王がいるのです。ナポレオンの100年ほど前です。
稀代の軍人たちにも果たせなかったロシア征服ですが、日露戦争とは関係ないのかな。
雪中行軍してないか。
ストックホルムには王様の銅像がたくさん建ってるのです。
今度行ったらみんなロシアの方を指してるかどうか確かめてこようと思います。
しかしまーほんとに血みどろの歴史だわね。
ずっと戦争しかしてないみたい。そんなことないんだろうけどね。
ローマとかバチカンとか行かなきゃだめかな。
そのため、第1章はすでにデンマークの支配下です。
北欧も大陸と同じく、ナショナルな枠組みで歴史を描き出すのは非常に難しく、フィンランドもノルウェーも20世紀になるまで独立してないし、スウェーデン南部は何度もデンマークになったりしてます。
その辺の難しさが以前読んだ中公新書「物語北欧の歴史」には切々と書かれていたのですが、こちら(著者は前述書と同じ)はその辺の複雑な事情を押し切って(やや強引に)スウェーデンに焦点を当てています。
切り口としてはわかりやすくていいと思います。
が、著者は歴史家ではなくジャーナリストというか外交官というか、つまり歴史の専門家ではありません。
新書レベルではちょうどよかったのですが、ハードカバーとなるとちょっと・・・。
特に20世紀まで時代がさかのぼると、王権もかなり弱まっており、国王を中心とした歴史を描くことに限界が感じられます。
現王と先王まで下ってくると、歴史というより著者の思い出話です。
やはり餅は餅屋でないとダメですね。
しかし残念なことに日本にはどうやらスウェーデン史の専門家はいないようで、スウェーデンの歴史となるとこの人しか出てきません。
スウェーデンに対する著者の愛は伝わってくるのですが、2次大戦におけるスウェーデンのジレンマに興味のある私にはだいぶ物足りないものでした。
ただ、基本的な歴史の流れをたどるにはいいのかなという気がします。図書館で借りて正解です。
スウェーデンにも、モスクワの大寒波のせいでロシアに勝てなかった国王がいるのです。ナポレオンの100年ほど前です。
稀代の軍人たちにも果たせなかったロシア征服ですが、日露戦争とは関係ないのかな。
雪中行軍してないか。
ストックホルムには王様の銅像がたくさん建ってるのです。
今度行ったらみんなロシアの方を指してるかどうか確かめてこようと思います。
しかしまーほんとに血みどろの歴史だわね。
ずっと戦争しかしてないみたい。そんなことないんだろうけどね。
ローマとかバチカンとか行かなきゃだめかな。
現在の通勤本は岩波新書のシリーズ日本近現代史1「幕末・維新」です。最新の研究成果を盛り込んでるそうよ。
エリツィン前大統領死去から日露関係を考えようと思ったらここまでさかのぼりました。
家康まで戻らなくても、ペリーからはじめればいいかなと思って。
これが、難しくて難しくて。
どこのだれが尊王派で攘夷派で開国派なんだかさーっぱり。
読んでて勢力図が頭の中に浮かびあがってきません。
今日は戌午の勅令から生麦事件まで進みました。
全然理解できてないのが明らかだったので、帰宅後ウィキペディアで復習です。新書のほうが詳しく書いてあります(´д`)
ウィキに薩摩藩が「開国」と書いてあってびっくりしました。本を読んでいる限りでは攘夷だと思ってたので。
とほほほほ。
もうしばらくがんばって読もうと思います。
月曜の読売新聞夕刊には日本の観光名所を紹介する記事があります。今日は広島県の大久野島でした。
http://www.yomiuri.co.jp/tabi/domestic/japan/20070507tb07.htm?from=topics
ここ行きたい!
うさぎと毒ガスと安芸の小京都。
なかなか無い組み合わせです。
最近行きたいと思うところがなくなってきちゃって困ってたのです。いつ行こうかな。
ニルスによると、今年の夏ニルスパパは最長2週間、ニルスママは最長1週間働くんですって。
休むんじゃないよ、働くんだよ。
そりゃ妖精になれるわよねぇ。
エリツィン前大統領死去から日露関係を考えようと思ったらここまでさかのぼりました。
家康まで戻らなくても、ペリーからはじめればいいかなと思って。
これが、難しくて難しくて。
どこのだれが尊王派で攘夷派で開国派なんだかさーっぱり。
読んでて勢力図が頭の中に浮かびあがってきません。
今日は戌午の勅令から生麦事件まで進みました。
全然理解できてないのが明らかだったので、帰宅後ウィキペディアで復習です。新書のほうが詳しく書いてあります(´д`)
ウィキに薩摩藩が「開国」と書いてあってびっくりしました。本を読んでいる限りでは攘夷だと思ってたので。
とほほほほ。
もうしばらくがんばって読もうと思います。
月曜の読売新聞夕刊には日本の観光名所を紹介する記事があります。今日は広島県の大久野島でした。
http://www.yomiuri.co.jp/tabi/domestic/japan/20070507tb07.htm?from=topics
ここ行きたい!
うさぎと毒ガスと安芸の小京都。
なかなか無い組み合わせです。
最近行きたいと思うところがなくなってきちゃって困ってたのです。いつ行こうかな。
ニルスによると、今年の夏ニルスパパは最長2週間、ニルスママは最長1週間働くんですって。
休むんじゃないよ、働くんだよ。
そりゃ妖精になれるわよねぇ。
ネットでも見られるんですねーセンター入試問題と解答。
毎年恒例・世界史Bに挑戦です。
54点。
むじぃ・・・。
中国史というかアジア史はことごとくダメです。当たり前だけどさ。
「これは絶対合ってる」と自信のある問題は36問中3問だけでした。そのうち1問間違ってたし(゜o゜;
とほほほ。
なかなか60点台には届きません。勉強してないから当たり前なんだけど。
今年はドイツ語もやりました。
ドイツ語よりも問題文の日本語が難しかったです。
ドイツでドイツ語を勉強している時間が長いので、日本独特の問題に不慣れなのです(@_@)
「次の動詞のうち過去形(直説法)で下線部の母音が変化するものを選べ」とか。
やたら配点高いと思ったら200点満点なのね。
175点だった。意外と間違えてる・・・。
時間かけてやればきっと200点取れたと思う。
PDFで長文問題見にくいんだもん(言い訳)。
今後はドイツ語も毎年やろうと思います。
グラフ作ろうかな。得点グラフ。
毎年恒例・世界史Bに挑戦です。
54点。
むじぃ・・・。
中国史というかアジア史はことごとくダメです。当たり前だけどさ。
「これは絶対合ってる」と自信のある問題は36問中3問だけでした。そのうち1問間違ってたし(゜o゜;
とほほほ。
なかなか60点台には届きません。勉強してないから当たり前なんだけど。
今年はドイツ語もやりました。
ドイツ語よりも問題文の日本語が難しかったです。
ドイツでドイツ語を勉強している時間が長いので、日本独特の問題に不慣れなのです(@_@)
「次の動詞のうち過去形(直説法)で下線部の母音が変化するものを選べ」とか。
やたら配点高いと思ったら200点満点なのね。
175点だった。意外と間違えてる・・・。
時間かけてやればきっと200点取れたと思う。
PDFで長文問題見にくいんだもん(言い訳)。
今後はドイツ語も毎年やろうと思います。
グラフ作ろうかな。得点グラフ。
年が明けて、毎日カフェに何時間も座ってます。
このカフェ、寒いんだよね。窓際は特に。あと暗い。
それ以外はいい感じなんだけどね。
さて毎日カフェに座って何をしてるかといえば、ウィキベディアを読み漁っています。
「太平洋戦争」
「盧溝橋事件」
「柳城湖事件」
「近衛文麿」
「東条英機」
「犬養毅」
「五・一五事件」
「ニ・ニ六事件」
「関東軍」
世紀の独裁者・フセイン死刑についてニルスとしゃべってて「日本の独裁者はダレですか」と質問されたのですね。
日本に独裁者はいなかったと思うのですが、そう答えたら「じゃあダレが日本を戦争に導いたの?天皇?なんで戦争したの?」と質問するんですね。
…。
???
ダレでしょうね?何ででしょうね?
ビックリするほど全くわかんない。
「ヨーロッパ史を専攻してたんだからね」とニルスには言われましたが、西洋史専攻以前に私は日本人であります。専攻は何の言い訳にもなりません。
断片的な用語は頭に浮かぶんだけどそれがナンだったか良く覚えてないし、何がどうつながってんのか全然わかんない。
「柳城湖爆殺事件」だと思ってたし。違うのね。
まずいよこれ。
ゴロゴロテレビ見てる場合じゃないよ。
とりあえずドイツで出来ることといえばウィキペディアを読むくらいで。
全然何にもわかんないから何から調べていいのかわからない。
のでとりあえず「太平洋戦争」から読み始めたわけです。
芋づる式に読んでます。
日本に帰ったら真っ先に図書館に行こうと思うのですが、行ったところで何を読んでいいものかサッパリわからん。
太平洋戦争の前に日中戦争・日露戦争・日清戦争とつながってるし、むしろ明治維新とか良くわかんないから結局そこから学ばねばならなくて、そうすると維新派とか薩長同盟とかもーどんどんさかのぼっちゃって、力尽きちゃうのよね。
そんなことやって大化の改新までさかのぼるわけにも行かないので、東条英機を中心に調べものしようと思います。
とりあえずは「プライド・運命の瞬間」を見るか。帰ったら。
このカフェ、寒いんだよね。窓際は特に。あと暗い。
それ以外はいい感じなんだけどね。
さて毎日カフェに座って何をしてるかといえば、ウィキベディアを読み漁っています。
「太平洋戦争」
「盧溝橋事件」
「柳城湖事件」
「近衛文麿」
「東条英機」
「犬養毅」
「五・一五事件」
「ニ・ニ六事件」
「関東軍」
世紀の独裁者・フセイン死刑についてニルスとしゃべってて「日本の独裁者はダレですか」と質問されたのですね。
日本に独裁者はいなかったと思うのですが、そう答えたら「じゃあダレが日本を戦争に導いたの?天皇?なんで戦争したの?」と質問するんですね。
…。
???
ダレでしょうね?何ででしょうね?
ビックリするほど全くわかんない。
「ヨーロッパ史を専攻してたんだからね」とニルスには言われましたが、西洋史専攻以前に私は日本人であります。専攻は何の言い訳にもなりません。
断片的な用語は頭に浮かぶんだけどそれがナンだったか良く覚えてないし、何がどうつながってんのか全然わかんない。
「柳城湖爆殺事件」だと思ってたし。違うのね。
まずいよこれ。
ゴロゴロテレビ見てる場合じゃないよ。
とりあえずドイツで出来ることといえばウィキペディアを読むくらいで。
全然何にもわかんないから何から調べていいのかわからない。
のでとりあえず「太平洋戦争」から読み始めたわけです。
芋づる式に読んでます。
日本に帰ったら真っ先に図書館に行こうと思うのですが、行ったところで何を読んでいいものかサッパリわからん。
太平洋戦争の前に日中戦争・日露戦争・日清戦争とつながってるし、むしろ明治維新とか良くわかんないから結局そこから学ばねばならなくて、そうすると維新派とか薩長同盟とかもーどんどんさかのぼっちゃって、力尽きちゃうのよね。
そんなことやって大化の改新までさかのぼるわけにも行かないので、東条英機を中心に調べものしようと思います。
とりあえずは「プライド・運命の瞬間」を見るか。帰ったら。
歴史を学ぶということ
2006年11月12日 歴史 コメント (3)「またかよ!」って思ったでしょ。
まただよ。
歴史の勉強をするときに、いかにものごとを客観的に捉えるかということに非常に気を遣いました。
一面的な歴史理解ほど危険なものはありません。
150年以上昔の出来事になると、もう目撃者は生存していません。
明治維新を目撃した人も、西南戦争に参加した人も、もう生きていません。
記録は残っています。
しかしその記録が客観的に書かれているかどうかは全く不明です。
映像・写真であれば撮影者の主観は影響されませんが、そのシーンの背景がわからず、どの文脈で撮影されたものかわからないので、その映像・写真を見ている人の判断に任されます。
または、その映像・写真を提示する人の主観が影響します。
「1942年 ワルシャワ 首をつったユダヤ人」というタイトルの写真があるとします。
その写真には首をつったユダヤ人以外何も写っていないとします。
これだけの情報で、多くの人が「ナチスが殺したんだ」と考えると思います。
死んだユダヤ人=ナチスのしわざという知識がそう思わせます。
しかしユダヤ人を迫害したのはナチスだけではありません。
もちろんナチスがもっとも過激に厳格に迫害しましたが、ヨーロッパには根強い反セム主義がはびこっており、ナチスに乗じてユダヤ人を迫害した人たちはたくさんいます。
一部のポーランド人も彼らを迫害しています。
残虐非道な行為をしたのは何もナチスに限りません。ドイツ国防軍やソ連軍も程度の差はあれ、残虐行為に及んでいます。
もしかしたらソ連軍が、ポーランド人が、殺したのかもしれません。
しかし全く別の見方をすることも出来ます。
このユダヤ人は「殺された」のではなく「自殺した」のかもしれません。人生に絶望し、自ら命を絶ったのかもしれません。
このユダヤ人に何が起こったのか、写真だけでは何もわかりません。
撮影者が一部始終を目撃し、その出来事をメモにでも残っていれば別ですが。
歴史というのはそういうもので、我々には結果しか残されていません。そこから過去を学ぼうとする姿勢は、同時に物事を多角的に考える頭を育てるのです。
過去から学ぶことの意味はすでに何度も述べているので省きますが。
有名な勘違いに、後白河法皇の例があります。
これはまだ学問的に断定されていないので「勘違い」と言えるものではないですが。
一般的には、後白河法皇は、頼朝からも「天下一の大天狗」と恐れらた策略家という解釈が多いそうです。
この「天下一の大天狗」という表現は、頼朝が法皇に宛てた手紙の中に出てくるものです。
この手紙のやり取りは、後白河法皇が壇ノ浦の合戦の後、義経に褒賞として判官の位をやったことに抗議する頼朝の手紙から始まります。
当時、合戦による褒賞は、法皇から頼朝にまとめて渡され、その配分は頼朝が決めるということで両者の間で合意されていました。
そうすることで頼朝の権威を高めることが出来るからです。
法皇が勝手に褒賞を鎌倉武士にやってしまうと、頼朝のいうことを聞かなくてもいいじゃん、と考える武士が出てくるから頼朝としては大変困る(そこに義経は気づかなかったのですね。だから政治的に無能だっていわれるのです)。
「どうして約束をやぶるんですか」と怒りの手紙を法皇に宛てたところ、法皇は言い訳がましく「いや、アレは私がやったんじゃなくて、天魔の仕業なんです」と返事をよこした。
それを皮肉った頼朝が「あーそうですか、天魔の仕業というのなら、天下一の大天狗ですね」と返事を書いたのです。
頼朝が「大天狗」と言ったのは法皇が「天魔の仕業」といったのに呼応した表現であり、彼が法皇を恐れていたと言う証拠としては弱いものになります。
すべて永井路子先生の「つわものの賦」から学びました。
その流れを全く省いて「天狗」という表現だけ抜き出してしまったのでこういう理解が広まったものと思われます。
しかし法皇(あるいはその周辺)が、鎌倉の権威が高まるのを恐れて義経に判官をやり、分裂を図ったというのは考えられます。
ただ長いものに巻かれただけかもしれませんが。
ものごとを断片的に捉えて理解したつもりになるのはとても危険なことです。カンタンに洗脳されてしまいます。
たとえば私の後白河法皇の理解も、永井路子先生に大きく影響されています。
司馬遼太郎は法皇を策士として小説「義経」の中で描いてましたが。
学者じゃないから決定的な事を述べることはできませんが、いろいろ知識を得て自分で判断することは、総合判断力につながると思います。
情報の氾濫している現代社会で、いかに有効な情報を選び出すことが出来るか、
会社の上司と先輩と同僚と、言ってることが全然違う中で誰のどの話が有効なのか、
後白河法皇がどんな人物だったかは生きていく上での必須情報ではないけれど、
そういう判断力というのは社会で生きていく上で必須の能力だと思います。
それを育てることが出来るのが、歴史の勉強なのだと私は考えています。
まただよ。
歴史の勉強をするときに、いかにものごとを客観的に捉えるかということに非常に気を遣いました。
一面的な歴史理解ほど危険なものはありません。
150年以上昔の出来事になると、もう目撃者は生存していません。
明治維新を目撃した人も、西南戦争に参加した人も、もう生きていません。
記録は残っています。
しかしその記録が客観的に書かれているかどうかは全く不明です。
映像・写真であれば撮影者の主観は影響されませんが、そのシーンの背景がわからず、どの文脈で撮影されたものかわからないので、その映像・写真を見ている人の判断に任されます。
または、その映像・写真を提示する人の主観が影響します。
「1942年 ワルシャワ 首をつったユダヤ人」というタイトルの写真があるとします。
その写真には首をつったユダヤ人以外何も写っていないとします。
これだけの情報で、多くの人が「ナチスが殺したんだ」と考えると思います。
死んだユダヤ人=ナチスのしわざという知識がそう思わせます。
しかしユダヤ人を迫害したのはナチスだけではありません。
もちろんナチスがもっとも過激に厳格に迫害しましたが、ヨーロッパには根強い反セム主義がはびこっており、ナチスに乗じてユダヤ人を迫害した人たちはたくさんいます。
一部のポーランド人も彼らを迫害しています。
残虐非道な行為をしたのは何もナチスに限りません。ドイツ国防軍やソ連軍も程度の差はあれ、残虐行為に及んでいます。
もしかしたらソ連軍が、ポーランド人が、殺したのかもしれません。
しかし全く別の見方をすることも出来ます。
このユダヤ人は「殺された」のではなく「自殺した」のかもしれません。人生に絶望し、自ら命を絶ったのかもしれません。
このユダヤ人に何が起こったのか、写真だけでは何もわかりません。
撮影者が一部始終を目撃し、その出来事をメモにでも残っていれば別ですが。
歴史というのはそういうもので、我々には結果しか残されていません。そこから過去を学ぼうとする姿勢は、同時に物事を多角的に考える頭を育てるのです。
過去から学ぶことの意味はすでに何度も述べているので省きますが。
有名な勘違いに、後白河法皇の例があります。
これはまだ学問的に断定されていないので「勘違い」と言えるものではないですが。
一般的には、後白河法皇は、頼朝からも「天下一の大天狗」と恐れらた策略家という解釈が多いそうです。
この「天下一の大天狗」という表現は、頼朝が法皇に宛てた手紙の中に出てくるものです。
この手紙のやり取りは、後白河法皇が壇ノ浦の合戦の後、義経に褒賞として判官の位をやったことに抗議する頼朝の手紙から始まります。
当時、合戦による褒賞は、法皇から頼朝にまとめて渡され、その配分は頼朝が決めるということで両者の間で合意されていました。
そうすることで頼朝の権威を高めることが出来るからです。
法皇が勝手に褒賞を鎌倉武士にやってしまうと、頼朝のいうことを聞かなくてもいいじゃん、と考える武士が出てくるから頼朝としては大変困る(そこに義経は気づかなかったのですね。だから政治的に無能だっていわれるのです)。
「どうして約束をやぶるんですか」と怒りの手紙を法皇に宛てたところ、法皇は言い訳がましく「いや、アレは私がやったんじゃなくて、天魔の仕業なんです」と返事をよこした。
それを皮肉った頼朝が「あーそうですか、天魔の仕業というのなら、天下一の大天狗ですね」と返事を書いたのです。
頼朝が「大天狗」と言ったのは法皇が「天魔の仕業」といったのに呼応した表現であり、彼が法皇を恐れていたと言う証拠としては弱いものになります。
すべて永井路子先生の「つわものの賦」から学びました。
その流れを全く省いて「天狗」という表現だけ抜き出してしまったのでこういう理解が広まったものと思われます。
しかし法皇(あるいはその周辺)が、鎌倉の権威が高まるのを恐れて義経に判官をやり、分裂を図ったというのは考えられます。
ただ長いものに巻かれただけかもしれませんが。
ものごとを断片的に捉えて理解したつもりになるのはとても危険なことです。カンタンに洗脳されてしまいます。
たとえば私の後白河法皇の理解も、永井路子先生に大きく影響されています。
司馬遼太郎は法皇を策士として小説「義経」の中で描いてましたが。
学者じゃないから決定的な事を述べることはできませんが、いろいろ知識を得て自分で判断することは、総合判断力につながると思います。
情報の氾濫している現代社会で、いかに有効な情報を選び出すことが出来るか、
会社の上司と先輩と同僚と、言ってることが全然違う中で誰のどの話が有効なのか、
後白河法皇がどんな人物だったかは生きていく上での必須情報ではないけれど、
そういう判断力というのは社会で生きていく上で必須の能力だと思います。
それを育てることが出来るのが、歴史の勉強なのだと私は考えています。
先日スペインの無敵艦隊の話をしましたが、
今教科書を読んでいて、初めて自分の記憶違いに気がつきました。
ネルソンがトラファルガーで破ったのは無敵艦隊ではなくてナポレオン率いるフランス海軍で、
無敵艦隊が破れたのはアルマダの海戦、当時イギリス海軍を率いていたのはドレークでした。
よく自分で勘違いするレパントの海戦は、スペイン・ヴェネツィア・教皇なんかが連合してオスマントルコを撃退した戦い。
もーやんなっちゃう。
海戦は苦手なのよね。
スウェーデンは、三十年戦争の後北方戦争で再び教科書に出てきました。
しかし1814年のライプツィヒの戦い(諸国民戦争)以降スウェーデンは戦争してないんだって。
義勇軍とか派遣してることはあるけど。
北欧史は、ずーっとスウェーデンとデンマークの領土争いが続いております。ずーっと戦争してるんですけど。
スウェーデン独立後はデンマークはまさに落日の王国であり、読んでて悲しくなってきます。
いろんな機会を捉えて何度もスコーネ地方を取り返そうとするんだけど全然だめなの。デンマークの衰退とは裏腹にスウェーデンはバルト海の大王国になっていくからね。
でそのうちノルウェーもスウェーデンに取られちゃうし、ナポレオン戦争ではイギリスを敵に回して海上貿易に大打撃を受けるし。
19世紀になってやっと立ち直ってきました。よかったよかった。
ところで教科書に載ってる「テニスコートの誓い」の絵、ダヴィッドだったのね。
パリのカルナヴァレ美術館というところにあるらしいのですが、どこにそんな美術館があったんだろう・・・。見たかったな。
革命関係の絵画がイロイロあるっぽい。
今教科書を読んでいて、初めて自分の記憶違いに気がつきました。
ネルソンがトラファルガーで破ったのは無敵艦隊ではなくてナポレオン率いるフランス海軍で、
無敵艦隊が破れたのはアルマダの海戦、当時イギリス海軍を率いていたのはドレークでした。
よく自分で勘違いするレパントの海戦は、スペイン・ヴェネツィア・教皇なんかが連合してオスマントルコを撃退した戦い。
もーやんなっちゃう。
海戦は苦手なのよね。
スウェーデンは、三十年戦争の後北方戦争で再び教科書に出てきました。
しかし1814年のライプツィヒの戦い(諸国民戦争)以降スウェーデンは戦争してないんだって。
義勇軍とか派遣してることはあるけど。
北欧史は、ずーっとスウェーデンとデンマークの領土争いが続いております。ずーっと戦争してるんですけど。
スウェーデン独立後はデンマークはまさに落日の王国であり、読んでて悲しくなってきます。
いろんな機会を捉えて何度もスコーネ地方を取り返そうとするんだけど全然だめなの。デンマークの衰退とは裏腹にスウェーデンはバルト海の大王国になっていくからね。
でそのうちノルウェーもスウェーデンに取られちゃうし、ナポレオン戦争ではイギリスを敵に回して海上貿易に大打撃を受けるし。
19世紀になってやっと立ち直ってきました。よかったよかった。
ところで教科書に載ってる「テニスコートの誓い」の絵、ダヴィッドだったのね。
パリのカルナヴァレ美術館というところにあるらしいのですが、どこにそんな美術館があったんだろう・・・。見たかったな。
革命関係の絵画がイロイロあるっぽい。
北欧史に対する好奇心
2006年9月11日 歴史 コメント (4)先日ママに送ってもらった荷物に「物語北欧史」という新書があるのですよ。それを今読んでるのです。
世界史の教科書も送ってもらったので、先に教科書で全体の流れを思い出してから読んでます。
ちなみに結構たくさん忘れてることがありました。「イギリス革命」とか。なんだそれと思ってしまいました。ビックリ。
無敵艦隊が敗れた海戦の名前も思い出せなくて教科書を読んだんですが、出てませんでした。
ネルソンすら出てないので結局ウィキペディアを見たのですが。
・・・。
トラファルガーに決まってるじゃんねぇ!
だからトラファルガー広場なんじゃんねぇ!
バカ自分。
イギリス史は苦手らしい。
さて新書ですが、北欧5カ国の歴史を詰め込むのは相当無理があるらしく、相当はしょっている感じです。
デンマーク・スウェーデンを中心にした北欧史です。
デンマークとスウェーデンがスカンジナビアの覇権を争ってたからね。
ノルウェーはデンマークが支配したりスウェーデンが支配したりだったらしいよ。
でも著者はもっとイロイロ盛り込みたいらしく、文章の端々に「その背景には何があったのー?!」と思わせる表現が多い。
んで気がついたら北欧がカトリックからプロテスタントになってた。
そこが知りたいんですけど!!
北欧各国は90%以上ルター派(プロテスタント)なんですって。
信仰心が厚いというわけではないようですが。
なんでそうなったのかしら、と疑問に思ってたのですが、本には「当時勢力を伸ばしていたプロテスタントとスウェーデンの王が手を結び、貴族を味方につけてカトリックの領地を没収した。そのおかげで大陸に見られたような血みどろの宗教戦争を経験せずに済んだ」としか書いてない。
うそー!そんなカンタンじゃなかったはずー!
カトリックの人たちはみんなそんなに素直だったのか??
デンマークに至っては何も書いてない。気がついたら旧教対新教の争いになってた。えー?
北欧の改宗は、北欧史の転換点だと思ってたのですよ。
この後グスタフアドルフが新教側に立って三十年戦争に介入してスウェーデンはバルト海の大国になるわけで、それまでかつてない繁栄を誇っていたデンマークはグスタフアドルフの邪魔をしたらその繁栄にかげりが見えてきたわけで。
そこに至る過程として、改宗は重要なポイントだと思ってたのですよ。
それがたった1行でおしまいだなんて!
てことはそれほど重要でないってことか?
スウェーデンで一番人気だというグスタフアドルフについても、登場したかと思うとあっという間に戦死した。
教科書的にはスウェーデン史上最も有名な人だと思うのですが。
デンマークに対して独立戦争を起こしたグスタフヴァーサの方がイロイロと書いてあったな。
スウェーデンの基礎を作ったってことでヴァーサの方が重要なのかしら。
北欧諸国が世界史の教科書に登場するのは、シュレスヴィヒ=ホルシュタインを巡って神聖ローマ帝国とデンマークが争ったのが最後ではないかと思います。今手元に教科書がないからなんともいえませんが。
次に出てくるのはEU加盟じゃないのかな?ノーベル賞の設立かな?
私がヨーロッパを旅行したいと思ったのは、ヨーロッパの歴史を勉強してきて、その歴史の舞台をゼヒこの目で見てみたいと思ったからです。
んであちこち見てまわったのですが、北欧はその順序が逆になったのです。
コペンハーゲンもストックホルムも、都市としては知っているけど、歴史的背景は何にも知らない。
でももちろんどの国もそれぞれ歴史があり、それにちなんだ銅像や博物館がイロイロあるわけです。
それを見てもなんだかよくわからん。
何があったのかわかんないし、その銅像の人がどうして銅像になったのかもわからん。
もちろんドイツ中にある銅像がみんな教科書に載ってる偉人というわけではないし、私が全部知ってるわけじゃないけどね。
でもたとえば、ヴィッテンベルクの教会の扉を見たときに、ルターの95か条の論題のことを知ってると知ってないとは感激が全然違うと思うのですよ。
ルターやその後の宗教戦争について知らなければ「へぇ」で終わってしまうけれど、知ってれば「コレがあの扉か!!」と感激するのです。
感激したよー。今は当時のものとは違う鉄の扉になってるんだけどさ。
そういう感激が北欧で得られなかったのは残念。
まー別の目的(レゴランド・北欧雑貨など)で行ったからそれはそれで楽しかったけど、歴史を知ってればもっと楽しめたはず。
なのでストックホルムに行く前にいっぱい勉強してこうと思います。
が、北欧の改宗についてはどうやって調べていいか全然わからん。
世界史の教科書も送ってもらったので、先に教科書で全体の流れを思い出してから読んでます。
ちなみに結構たくさん忘れてることがありました。「イギリス革命」とか。なんだそれと思ってしまいました。ビックリ。
無敵艦隊が敗れた海戦の名前も思い出せなくて教科書を読んだんですが、出てませんでした。
ネルソンすら出てないので結局ウィキペディアを見たのですが。
・・・。
トラファルガーに決まってるじゃんねぇ!
だからトラファルガー広場なんじゃんねぇ!
バカ自分。
イギリス史は苦手らしい。
さて新書ですが、北欧5カ国の歴史を詰め込むのは相当無理があるらしく、相当はしょっている感じです。
デンマーク・スウェーデンを中心にした北欧史です。
デンマークとスウェーデンがスカンジナビアの覇権を争ってたからね。
ノルウェーはデンマークが支配したりスウェーデンが支配したりだったらしいよ。
でも著者はもっとイロイロ盛り込みたいらしく、文章の端々に「その背景には何があったのー?!」と思わせる表現が多い。
んで気がついたら北欧がカトリックからプロテスタントになってた。
そこが知りたいんですけど!!
北欧各国は90%以上ルター派(プロテスタント)なんですって。
信仰心が厚いというわけではないようですが。
なんでそうなったのかしら、と疑問に思ってたのですが、本には「当時勢力を伸ばしていたプロテスタントとスウェーデンの王が手を結び、貴族を味方につけてカトリックの領地を没収した。そのおかげで大陸に見られたような血みどろの宗教戦争を経験せずに済んだ」としか書いてない。
うそー!そんなカンタンじゃなかったはずー!
カトリックの人たちはみんなそんなに素直だったのか??
デンマークに至っては何も書いてない。気がついたら旧教対新教の争いになってた。えー?
北欧の改宗は、北欧史の転換点だと思ってたのですよ。
この後グスタフアドルフが新教側に立って三十年戦争に介入してスウェーデンはバルト海の大国になるわけで、それまでかつてない繁栄を誇っていたデンマークはグスタフアドルフの邪魔をしたらその繁栄にかげりが見えてきたわけで。
そこに至る過程として、改宗は重要なポイントだと思ってたのですよ。
それがたった1行でおしまいだなんて!
てことはそれほど重要でないってことか?
スウェーデンで一番人気だというグスタフアドルフについても、登場したかと思うとあっという間に戦死した。
教科書的にはスウェーデン史上最も有名な人だと思うのですが。
デンマークに対して独立戦争を起こしたグスタフヴァーサの方がイロイロと書いてあったな。
スウェーデンの基礎を作ったってことでヴァーサの方が重要なのかしら。
北欧諸国が世界史の教科書に登場するのは、シュレスヴィヒ=ホルシュタインを巡って神聖ローマ帝国とデンマークが争ったのが最後ではないかと思います。今手元に教科書がないからなんともいえませんが。
次に出てくるのはEU加盟じゃないのかな?ノーベル賞の設立かな?
私がヨーロッパを旅行したいと思ったのは、ヨーロッパの歴史を勉強してきて、その歴史の舞台をゼヒこの目で見てみたいと思ったからです。
んであちこち見てまわったのですが、北欧はその順序が逆になったのです。
コペンハーゲンもストックホルムも、都市としては知っているけど、歴史的背景は何にも知らない。
でももちろんどの国もそれぞれ歴史があり、それにちなんだ銅像や博物館がイロイロあるわけです。
それを見てもなんだかよくわからん。
何があったのかわかんないし、その銅像の人がどうして銅像になったのかもわからん。
もちろんドイツ中にある銅像がみんな教科書に載ってる偉人というわけではないし、私が全部知ってるわけじゃないけどね。
でもたとえば、ヴィッテンベルクの教会の扉を見たときに、ルターの95か条の論題のことを知ってると知ってないとは感激が全然違うと思うのですよ。
ルターやその後の宗教戦争について知らなければ「へぇ」で終わってしまうけれど、知ってれば「コレがあの扉か!!」と感激するのです。
感激したよー。今は当時のものとは違う鉄の扉になってるんだけどさ。
そういう感激が北欧で得られなかったのは残念。
まー別の目的(レゴランド・北欧雑貨など)で行ったからそれはそれで楽しかったけど、歴史を知ってればもっと楽しめたはず。
なのでストックホルムに行く前にいっぱい勉強してこうと思います。
が、北欧の改宗についてはどうやって調べていいか全然わからん。
この本も結局1週間で読んでしまった。
時間がたっぷりあるので好きなだけ本が読めるなんてステキ。
この前に読んだ新書「国際歴史教科書対話」とだいぶ重複する内容ではあったけれど、新書のほうがドイツ=ポーランド対話の内容について詳細に記述されているので、読む順番としては間違っていなかったと思う。
対話の中でどのような勧告が出されたのか、こっちの本には具体的にはあまり書かれていないので。
新書のほうはどうも最終的な結論というか、著者の主張するところがよくわからなかったのですが、こちらはわかりやすかったです。
関係ないけど、著者がとても若い。若いって、歴史の分野にしてはってことですよ。
たいていこういう本て、なんか60年代からすでに権威になってるようなじーさんが書いてるイメージがあったのですが、そーいった権威の先生方の助力を得て本の出版にこぎつけたそうです。
すごいなぁ。ていうかそういう権威の先生にお世話になれるなんていいなぁ。
やっぱ東大だよなぁ。
それはともかく、戦後ドイツがどのような歴史教育を行ってきたか、ナチス時代をどう教えるのかにとどまらず、ホロコーストの犠牲者はユダヤ人だけではないことや、ドイツ人もまた被害者であった側面をどのように教科書に記述するのか、
隣国との摩擦をどのように解消していくのか、というドイツの試行錯誤がよくわかります。
それだけであれば前出の新書で充分ですが、この本では冷戦体制の崩壊、EUの東方拡大に伴うヨーロッパおよびドイツ社会の変化に対する、これまでの歴史教育(ナチスドイツの罪をドイツ人としてどのように受け止めるか)の枠組みの変化、教科書対話の多様化などにも言及しています。
ドイツは今や人口の10%が外国人であり、ドイツに帰化した外国人もたくさん住んでおり、ナチスの罪とは直接関係ない人たちがかなりの数になっています。
そういった人たちにとっては、これまでのドイツ人のアイデンティティであった過去の克服を同じように受け入れることは難しいというわけです。
ホロコースト問題についても、ドイツ人だけのものではなくヨーロッパ全体で考えていかねばならない時代になっている一方、
そうすることでドイツ人の罪を相対化してはならないというジレンマを抱える時代になっているのです。
いやーヨーロッパって面白い。
陸続きであり、歴史が相互に絡み合っているからこそこういった前向きな対話が出来るんだろうな。
アメリカの一国支配体制が崩壊に向かっている今、ヨーロッパは拡大(サイズ的にも中身的にも)していかねばならない。
そのなかで、過去に目を奪われて罪のなすりあい、足の引っ張り合いをしていては何も生まれないということをヨーロッパ各国が認識しているのではないでしょうか。
もちろん個人レベルではそうはいかないと思うけど、国家レベルでは少なくともそういう認識があると思います。
もちろんドイツの歴史に対する姿勢を手放しで支持するわけではないし、それをそのままアジアに適応したほうが良いというわけではないけれど。
地理的要因だったり歴史的背景だったり経済情勢だったりがアジアとヨーロッパでは全然違うから、そう簡単にはいかないよ。
ヨーロッパでの歴史教育が、「ドイツ史」や「フランス史」の枠を超えようとするのは、EU拡大があるからこそだと思うのよね。
そういう外的要因のないアジアでは難しいと思うし、ヨーロッパのように歴史が入り乱れてないからね。
中国はずっと中国だったし、朝鮮半島は朝鮮半島で歴史がある。
モチロンいろんな交流(良くも悪くも)はあったけれど、たとえば大陸から日本まで含めて大帝国だったことはないから、
「中国史」とか「日本史」という枠組みがヨーロッパほど不自然ではないわけ。
そうなると自国史を超える枠組みを考えようっていうのもなかなか難しいと思うのです。その枠で充分納まってるんだもん。
ヨーロッパの例を参考にしつつ、アジアでの対話の形を対話によって検討していくしかないと思うのです。
しかしそれには色々な政治的要因が多すぎて、今ちょっと難しいんだと思うんです。
日本がアメリカの傘の下にいようとする限りは、難しいと思います。
歴史って単純に教科書や本の中だけでは考えられないんだよ。
このオモシロさは一体どうやったらみんなに伝わるのかしら。
時間がたっぷりあるので好きなだけ本が読めるなんてステキ。
この前に読んだ新書「国際歴史教科書対話」とだいぶ重複する内容ではあったけれど、新書のほうがドイツ=ポーランド対話の内容について詳細に記述されているので、読む順番としては間違っていなかったと思う。
対話の中でどのような勧告が出されたのか、こっちの本には具体的にはあまり書かれていないので。
新書のほうはどうも最終的な結論というか、著者の主張するところがよくわからなかったのですが、こちらはわかりやすかったです。
関係ないけど、著者がとても若い。若いって、歴史の分野にしてはってことですよ。
たいていこういう本て、なんか60年代からすでに権威になってるようなじーさんが書いてるイメージがあったのですが、そーいった権威の先生方の助力を得て本の出版にこぎつけたそうです。
すごいなぁ。ていうかそういう権威の先生にお世話になれるなんていいなぁ。
やっぱ東大だよなぁ。
それはともかく、戦後ドイツがどのような歴史教育を行ってきたか、ナチス時代をどう教えるのかにとどまらず、ホロコーストの犠牲者はユダヤ人だけではないことや、ドイツ人もまた被害者であった側面をどのように教科書に記述するのか、
隣国との摩擦をどのように解消していくのか、というドイツの試行錯誤がよくわかります。
それだけであれば前出の新書で充分ですが、この本では冷戦体制の崩壊、EUの東方拡大に伴うヨーロッパおよびドイツ社会の変化に対する、これまでの歴史教育(ナチスドイツの罪をドイツ人としてどのように受け止めるか)の枠組みの変化、教科書対話の多様化などにも言及しています。
ドイツは今や人口の10%が外国人であり、ドイツに帰化した外国人もたくさん住んでおり、ナチスの罪とは直接関係ない人たちがかなりの数になっています。
そういった人たちにとっては、これまでのドイツ人のアイデンティティであった過去の克服を同じように受け入れることは難しいというわけです。
ホロコースト問題についても、ドイツ人だけのものではなくヨーロッパ全体で考えていかねばならない時代になっている一方、
そうすることでドイツ人の罪を相対化してはならないというジレンマを抱える時代になっているのです。
いやーヨーロッパって面白い。
陸続きであり、歴史が相互に絡み合っているからこそこういった前向きな対話が出来るんだろうな。
アメリカの一国支配体制が崩壊に向かっている今、ヨーロッパは拡大(サイズ的にも中身的にも)していかねばならない。
そのなかで、過去に目を奪われて罪のなすりあい、足の引っ張り合いをしていては何も生まれないということをヨーロッパ各国が認識しているのではないでしょうか。
もちろん個人レベルではそうはいかないと思うけど、国家レベルでは少なくともそういう認識があると思います。
もちろんドイツの歴史に対する姿勢を手放しで支持するわけではないし、それをそのままアジアに適応したほうが良いというわけではないけれど。
地理的要因だったり歴史的背景だったり経済情勢だったりがアジアとヨーロッパでは全然違うから、そう簡単にはいかないよ。
ヨーロッパでの歴史教育が、「ドイツ史」や「フランス史」の枠を超えようとするのは、EU拡大があるからこそだと思うのよね。
そういう外的要因のないアジアでは難しいと思うし、ヨーロッパのように歴史が入り乱れてないからね。
中国はずっと中国だったし、朝鮮半島は朝鮮半島で歴史がある。
モチロンいろんな交流(良くも悪くも)はあったけれど、たとえば大陸から日本まで含めて大帝国だったことはないから、
「中国史」とか「日本史」という枠組みがヨーロッパほど不自然ではないわけ。
そうなると自国史を超える枠組みを考えようっていうのもなかなか難しいと思うのです。その枠で充分納まってるんだもん。
ヨーロッパの例を参考にしつつ、アジアでの対話の形を対話によって検討していくしかないと思うのです。
しかしそれには色々な政治的要因が多すぎて、今ちょっと難しいんだと思うんです。
日本がアメリカの傘の下にいようとする限りは、難しいと思います。
歴史って単純に教科書や本の中だけでは考えられないんだよ。
このオモシロさは一体どうやったらみんなに伝わるのかしら。
ついに!
ドイツ行き3日前にしてついに読了しました、チャーチルの自伝。
←これはダイジェスト版ですが、河出書房から4冊出てます。
第4巻は、ノルマンディー上陸作戦の準備段階から、45年7月にチャーチルが選挙で負けるまでです。
首相を辞任した後の話もあります。
ヤルタ会談以降、スターリンは無茶するわ、ルーズベルトは体調を崩すわ、総選挙は近いわで忙殺される日々が記録されています。
ドイツが無条件降伏をした後も、チャーチルは苦悩を続けていたことが明らかになっています。
うーむ。
第4巻には、特に考えさせられる言葉がたくさん詰まっていました。
原子爆弾の登場は、チャーチルにとっては歓迎すべき出来事だったことを認めつつも、その後の影響をしっかり考慮すべきものだという認識をもっていたこと。
パレスチナ問題について、シオニスト運動を支持する立場にあったこと。(ヨーロッパ人は結局、自分の周りのユダヤ人をエルサレムに追いやりたかっただけなのか?)
アジア各国の独立。共産主義の台頭。
チャーチルは、難しい局面となったポツダム会談の途中で選挙に負けたため、米ソとの交渉は途中から後任のアトリーが行うことになったのを非常に残念がっていました。
なんといっても、ドイツ降伏直前にルーズベルトを失ったことが、戦後の世界形成に大きな影響を与えたようです。
チャーチルは首相として主な問題を取り扱ってきたけれど、自分ひとりで全部抱えてたわけではなく、それこそアトリーをはじめとする周囲の人物も多少は巻き込んできたわけですが、ルーズベルトはそうではなかった。全部自分でやってきたので、45年4月12日に彼が亡くなったとき、トルーマンはヤルタ会談の取り決めや、それ以前にルーズベルトとチャーチルが話し合ってきたことをぜんぜん把握していなかった。
だからもちろん、スターリンがどういう存在で、今後どういうことをするのか、ほとんど把握していなかった。
これが、戦後の世界のあり方を話し合う上で非常に大きな弊害を引き起こしたとチャーチルは認識しているようです。
ヒトラー自殺の、たった3週間前ですよ、ルーズベルトの死は。
何の因果か、ムッソリーニの処刑は4月25日、ヒトラー自殺は4月30日。5年以上にわたって世界を動かしてきた首脳たちが、たった3週間の間に3人も斃れているのです!チャーチルも驚いてましたが、「少なくともイタリアではニュルンベルク裁判の手間が省けた」とあり、ちょっと笑えた。
ナチスという巨大な、共通の「敵」に打ち勝つことに精一杯であり、戦後世界のあり方まで詰めきれていなかった民主主義社会と、衛星国家を作り自国の防衛を目指していた共産主義社会が、ヤルタでぶつかるのは当然のことだったのかもしれません。
結局、ナチスが倒れた後は、共産主義という敵が新たに誕生しただけで、「敵の首が挿げ替えられただけにすぎない」とチャーチルは回想しています。
これは、現在ナゾの中東強硬政策を取るアメリカにとって耳の痛い話なのではないでしょうか。
「アルカイダ」「ビンラディン」「ザルカウィ」を倒したところで、別のテロ組織が台頭するだけでなのではないでしょうか。
人間は、生きて学ぶものであるとチャーチルは残しています。
現代社会は、過去に学ぶことができているのでしょうか。
字が小さくて全4巻で、軍事的な内容も出てきて一部難解な部分もあるけれど、これは死ぬまでに1度読んでおくべき本だと思いました。現代社会の基盤を形成する過程がよくわかる1冊。
ドイツ行き3日前にしてついに読了しました、チャーチルの自伝。
←これはダイジェスト版ですが、河出書房から4冊出てます。
第4巻は、ノルマンディー上陸作戦の準備段階から、45年7月にチャーチルが選挙で負けるまでです。
首相を辞任した後の話もあります。
ヤルタ会談以降、スターリンは無茶するわ、ルーズベルトは体調を崩すわ、総選挙は近いわで忙殺される日々が記録されています。
ドイツが無条件降伏をした後も、チャーチルは苦悩を続けていたことが明らかになっています。
うーむ。
第4巻には、特に考えさせられる言葉がたくさん詰まっていました。
原子爆弾の登場は、チャーチルにとっては歓迎すべき出来事だったことを認めつつも、その後の影響をしっかり考慮すべきものだという認識をもっていたこと。
パレスチナ問題について、シオニスト運動を支持する立場にあったこと。(ヨーロッパ人は結局、自分の周りのユダヤ人をエルサレムに追いやりたかっただけなのか?)
アジア各国の独立。共産主義の台頭。
チャーチルは、難しい局面となったポツダム会談の途中で選挙に負けたため、米ソとの交渉は途中から後任のアトリーが行うことになったのを非常に残念がっていました。
なんといっても、ドイツ降伏直前にルーズベルトを失ったことが、戦後の世界形成に大きな影響を与えたようです。
チャーチルは首相として主な問題を取り扱ってきたけれど、自分ひとりで全部抱えてたわけではなく、それこそアトリーをはじめとする周囲の人物も多少は巻き込んできたわけですが、ルーズベルトはそうではなかった。全部自分でやってきたので、45年4月12日に彼が亡くなったとき、トルーマンはヤルタ会談の取り決めや、それ以前にルーズベルトとチャーチルが話し合ってきたことをぜんぜん把握していなかった。
だからもちろん、スターリンがどういう存在で、今後どういうことをするのか、ほとんど把握していなかった。
これが、戦後の世界のあり方を話し合う上で非常に大きな弊害を引き起こしたとチャーチルは認識しているようです。
ヒトラー自殺の、たった3週間前ですよ、ルーズベルトの死は。
何の因果か、ムッソリーニの処刑は4月25日、ヒトラー自殺は4月30日。5年以上にわたって世界を動かしてきた首脳たちが、たった3週間の間に3人も斃れているのです!チャーチルも驚いてましたが、「少なくともイタリアではニュルンベルク裁判の手間が省けた」とあり、ちょっと笑えた。
ナチスという巨大な、共通の「敵」に打ち勝つことに精一杯であり、戦後世界のあり方まで詰めきれていなかった民主主義社会と、衛星国家を作り自国の防衛を目指していた共産主義社会が、ヤルタでぶつかるのは当然のことだったのかもしれません。
結局、ナチスが倒れた後は、共産主義という敵が新たに誕生しただけで、「敵の首が挿げ替えられただけにすぎない」とチャーチルは回想しています。
これは、現在ナゾの中東強硬政策を取るアメリカにとって耳の痛い話なのではないでしょうか。
「アルカイダ」「ビンラディン」「ザルカウィ」を倒したところで、別のテロ組織が台頭するだけでなのではないでしょうか。
人間は、生きて学ぶものであるとチャーチルは残しています。
現代社会は、過去に学ぶことができているのでしょうか。
字が小さくて全4巻で、軍事的な内容も出てきて一部難解な部分もあるけれど、これは死ぬまでに1度読んでおくべき本だと思いました。現代社会の基盤を形成する過程がよくわかる1冊。