ハイダー氏

2008年10月14日 歴史
ハイダー氏
→この写真を見てこれが誰だかわかる人はあまりいないかと思いますが、
個人的には大きな意味のある人物でした。

オーストリアの極右政党の党首だったハイダー氏が先日交通事故で亡くなりました。
58歳でした。
90歳になる母親の誕生日を祝いに行くところだったそうです。

彼が自由党(当時)投手、じゃなくて党首だった2000年の総選挙で第二党となる議席数を獲得し、第一党の国民党は自由党と連立せざるを得ない状況に陥りました。

2000年といえばEUもこれからユーロを導入しようというところであり、再三ナチスを賞賛する発言を繰り返すハイダーが政治を担うオーストリアを見過ごすことはできなかったわけです。

EU各国は経済制裁措置を取りオーストリアは孤立、オーストリア国内では内政干渉として反EUの機運が高まり、欧州連合始まって以来の最大の危機とも言われておりました。

この状況をニュースで聞いてから、なぜオーストリアでは極右が選挙で支持されるのか非常に疑問で、そこから卒論のテーマを決めたわけです。

そもそもなんでそんなオーストリアの総選挙のニュースなんか見てたんだって話なんですが、ご覧の通り男前だから日本でもニュースやってたんです。

ちょうどブレアが首相になった後で、日本ではたぶん、ヨーロッパの男前な政治家、みたいなのを夕方の民放ニュースかなんかでやってたんじゃないかな。

オーストリアは自分たちをナチスの被害者としてきたため、ドイツのように極右勢力への警戒意識がほとんどないのです。
そのため、戦後はナチスの大物が大統領になったりしてます。
ドイツでは極端な「非ナチ化」のために政治を担う人がいなくて困るくらいだったのとは対照的です。

第三帝国が最初に併合したのがオーストリアだったため、被害者であるという主張を続けてきたのです。
戦後処理の過程で連合国もオーストリアの「被害国」の主張を認めたため、戦後処理は長い間行われていなかったのです。

ヒトラーはオーストリア人で、彼の政治思想の大部分は、若い頃過ごしたウィーンの空気が育てたと言っても過言ではないにも関らず!
ナチスドイツによる併合は、国民投票による「99.97%の賛成」によるものだったにも関らず!
ドイツ人以上に熱心にユダヤ人を迫害していたともいえるにも関らず!

本当にオーストリアは被害者なのか?
WW2前のオーストリアでは何が起きていたのか?

というテーマです。
日本の戦後に似たところがあると思うのです。

無事卒業できました。

読み返すのも恥ずかしいへぼ卒論ですが、テーマの設定は非常によかったと自負しております。
いまだにオーストリアの戦中・戦間・戦後の歴史からは目が離せません。
特に歴史教育。彼らは自国の歴史をどう教えてきたのか?
長らく戦時中の出来事に目をつぶってきた大人へインタビューを敢行した子どもたちとその指導者たる教師の受けた逆風は?歴史の教科書には何が書いてあるのか?

それはともかく、まだ58歳という若さで亡くなるとは。
人生ってわからないな。

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