人生を語る

2008年7月25日 日常
ちょっと前に見かけた中吊り広告にあった「オレモーツァルトだったら死んでる歳だわ」といった内容のコピーが印象的で、何の広告だったのかは覚えてないんだけどそのコピーだけよく覚えてます。

私はまだモーツァルトの享年には追いついてないですけど、まもなくです。
芥川龍之介ならもうすこしいけます。

ちょっとビッグなチャンスが巡ってきて、会社を辞めてそっちを選ぶか、そっちを諦めて正社員化に望みをつなぐかの分かれ道に立っております。

今会社を辞めることを選んだらおそらくもう戻ることはないだろうし、ましてや正社員で入れる可能性も大変低い。アタシが採用やってんだから太鼓判押すよ。

かといってそのチャンスを今逃すと、次に巡ってくる可能性はほとんどないと思うの。

悩むなぁ。ひさびさに。
でも締め切りは月末。

いまの仕事でもいろんなことがあって、「働くって、なんだろうな」と思うことが多くなっております。
就活してた頃のほうがもっとガムシャラだったなー。

ガムシャラって言うとなんか気恥ずかしい響きですけど。
でもイロイロ理屈をこねることナシにとにかく就活してたからね。

社会人になってからの方が働くことの意味を考えると思うの。
特に守るべき家族がいないとね。
何のために働くのかしら。

働くことの意味もよくわからなくなってきたのですが、
それを上回る、人生の目標とか計画とか、なんもないんだよね。

世の中にはちゃんと目標に向かってステップ踏んでる人もいるわけですが、振り返れば私は2〜3年周期で生きてるから身に付いているものが何もないし、成し遂げたこともないの。

逆にいえば、ある目標に向かって情熱を傾けたことも無いの。
ドイツにワーホリ行ったのも「仕事が面白かったらそのまま働くけど、そうでもなかったらドイツ行きたいからお金貯めとこ」っていう感じだったし。
帰ってきてからも結局のところ転職活動もソコソコに派遣で働いてたらなんだか正社員になれそうだぞってことで今に至るわけだし。

器用貧乏の典型で、すごくがんばらなくてもソコソコなんでも出来るから、何に対しても一生懸命にならないの。
スポーツと算数はできないけど、そういうできないことには「いや、興味ないから」って手をつけないの。

ソコソコ人並みにできるから、大きな挫折を味わったこともないし大きな達成感も得たことが無いの。
そういうものをみんなが体験してるかどうかは知らないけれど。

さっきの話とちょっと矛盾してるね。
就活は必死だったか。でも就職浪人もしなかったしニートにもなってないしな。

でもover allで言えばちっちゃくまとまってると思うのよ。
会社辞めてドイツ行ったりしてるけど、その結果何をしたかって別に何にもしてないし。結果的には本当に遊びに行っただけなのよね。まぁ遊びにいったんだけどさ。

そういうのはさすがにモーツァルトの年齢に近づいてくるとできないなぁと思うのよね。
結局は危ない橋は渡りたくねぇなってわけで。

でもモーツァルトだったらあと3年で死ぬわけだけど、そのヴァーチャル今わの際で走馬灯を眺めたときに「わが人生に一点の悔いなし!」って言えるかなって考えるといえない気がする。

楽しいことたくさんしたけど、達成したことはないからね。

グダグダいってるけど、「じゃぁ何がしたいんだよ」と言われると耳が痛い。
やりたいことが無いわけではないんだよ。

いまさらだけど目標見据えて真っ直ぐ生きようかしら。

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