聖火リレーのときから考えておりましたが、チベットが独立を勝ち取ろうが自治権を拡大させようが、私たちには関係ないことなのに、なぜNGO団体に所属するでもない人たちがチベット人の人権を主張したりフリーチベットなどとシュプレヒコールをあげるのか、不思議でなりませんでした。

None of my businessでしょ。
偽善だよ偽善。
人権保護を主張することで「自分は世界に貢献してる」という気分になりたいだけでしょ。

と思っておりました。

さて今朝胡錦濤来日に抗議する人たちのニュースを見ていて、右翼団体は彼らの信条にしたがって抗議を行っているのだから、代々木公園でフリーチベットっつってる人よりはマシだよな、と思ったときに「悪霊」が少しだけわかったような気がします。
抗議活動のニュースを見てて、パーティ会場や火事場で騒ぎ立てる民衆を見るような気がしました。

じゃあたしゃスタヴローギンか。
それはちょっと違うと思うんだけど、違わないのかな。
ニュースそのものに関心がないわけではないけれど、チベットの自治や独立に対しては私は何もできないし何かしようとも思わないし。

そもそもあの小説はそういう普遍的価値を取り扱ったものではなく、農奴解放後の揺れるロシア社会を描いたものなのかしら。

難しい。

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