これまでシンポジウムなんて行ったこと無いんだけどね。
大使館情報はいいよ。地味だけど面白いイベント情報が満載だよ。特にスウェーデン大使館は北欧系のマニアックイベントが満載で。

で、この日はゲーテ主催のシンポジウム「独仏教科書対話」です。
教科書対話の祖であるゲオルク・エッカート国際教科書研究所の研究員やフランス教育省の人たちを招いてパネルディスカッション。

もう半年前から楽しみでした。

面白かったよー。
ドイツ語を聞き取ろうとして、前半は通訳聞いてなかったのですが後半は内容に集中することにした。パネルディスカッションはどうしてもフランス語の訳を聞かないとわかんないからさ。

共通歴史教科書は、相互和解の道具となりえるのかそうではないのかという点を巡って見解がわかれていたので特に面白かった。フランスの研究者は、和解の道具というよりは、多様な価値観の存在を理解することを目指している感じでした。そこはやっぱり他民族国家だし、国家の枠を超えたEU市民の目指すところなんだなぁと思った。

やっぱり彼らは「EU共通の歴史教科書」というのはありえないようなことも言ってました。

その反面、日本のパネリストはやる気が無い。ディスカッションに対するやる気ではなくて教科書対話に対するやる気が。
政府の支援は無いからカネがない、市民団体は圧力をかけてくる、誰もやりたくないのに選ばれちゃったから仕方なく教科書委員をやってる、ヨーロッパと日本は事情が違うからうまく行かない、みたいな感じでした。

ダメなサラリーマンの言い訳みたい。

日本の場合は、主体性を持って教科書対話をやろうとしていないからうまく行かないんだなと思った。
そこはヨーロッパと事情が違うところだよね。超国家の取り組みの必要性は東アジアでは今のところないからね。東アジア連合を作る予定はないわけじゃん。

東アジアには支配国と被支配国が同時に存在し、その相反する歴史的事実に共通項はないので共通の歴史教科書というのは困難なのだ、と日本のパネリストが言ってました。
たしかに、ヨーロッパには植民地はないからね。彼らは常に支配者だもんね。

そういう、これまで知らなかった東アジアにおける教科書対話の難しさがわかったのは興味深い。
今度は彼らの言い訳のひとつである「市民社会の存在があるとはいえない現在の中国との対話は不可能に近い。研究者は自由に発言することができない」という問題点を克服したドイツ・ポーランドの教科書対話について話が聞けたらおもしろいのになぁ。

この言い訳を聞いたときはびっくりしちゃったよ。
この壇上に座ってるんだから、ドイツとポーランドが教科書対話を繰り返してきたことは知ってて当然だと思ったのですが、その上での発言だったのかしら。

今日の聴衆はマニアの集まりではなく、研究者が多かったみたいです。質疑応答の時間に千葉大の先生が鋭く指摘してた。「せっかくのこの機会がこれでは『できない論』で終わってしまう」って。

そのとーり!
あの人誰だったんだろう。

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