「君主論」から「NHKラジオ講座スウェーデン語」、「スチュワーデスの履くストッキング画像」まで、いろんなところにつながっております。

スウェーデン語のラジオ講座はありません。
スウェーデン語のラジオニュースが聞けるのです。
しかしどうやら年末に放送終了らしい(゜o゜;
重宝してたのに・・・。

スチュワーデスのストッキングなんて知りません(@_@)

昨日赤レンガ倉庫で見てきた写真展というのはこれです。
http://www.photofestival2007.net/

世界で何が起こっているのかを伝えるのがジャーナリズムの使命だと、この展覧会では随所で主張しているのですが、
伝えることしかできないジャーナリズムは時に無力であるなと思いました。

見る人がいて初めてジャーナリズムは成立するわけで、
たとえばこの展覧会にしても、見に来る人がいなければその役目を充分に果たすことはできないし、見に来なかった大多数の人にはその役割はまったく果たされない。

何もしないよりはずっといいのですが、写真の中の人々を見ていると、写真しか撮れない、というとものすごく極端ですが、苦しんでいる人たちに直接手を差し伸べることのできないジャーナリズムはある意味無力なのではないかと思いました。

もちろん、私は写真も撮れないので伝えることすらできませんが。

どの写真を見ても、腹立たしいほど自分が無力であることを痛感しました。
同時に、自分の生きている世界がいかに恵まれているかを実感します。

どうして新潟で余ってしまっている救援物資をパキスタンやペルーに送ることができないのだろうか。
どうしてできすぎた野菜をつぶすのではなくアフリカに送ることができないのだろうか。

アメリカなんて滅んでしまえと思いました。

コメント

nophoto
サイヤまん
2007年9月11日8:47

伝えることがジャーナリズムであって決して無力ではないんじゃない?
見に来た人がそこで見た事や物、感じたことをさらに誰かに伝えることを狙いとしているのでまったく無力ではないでしょ?
メルさんがここにこう書く事やURLを貼ることが、写真展の効果であり意味があるんだと思う。
俺だって写真展HPの写真見て戦争の非道さを再確認したもの・・。
そうやってHPにある写真のどの1枚でも見ることによってどこかのだれかの心にメッセージが届けばジャーナリストの本望だと思う。

あれ?こんなこと書いて。俺なんか変じゃねぇ?どうやらとり憑かれてるみたいだ。

メルヘン
メルヘン
2007年9月11日18:35

伝えるという重大な使命を担っている反面、衝撃の瞬間にシャッターを切ることしかできないのって無力さを感じるのです。もちろん写真家にアフリカの飢餓を救えっていうわけじゃないですし、私はその現場にすら立てないのですが。
ジャーナリストって大変な職業だなと思いました。

マリパーやったんじゃないですか?

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