「またかよ!」って思ったでしょ。
まただよ。

歴史の勉強をするときに、いかにものごとを客観的に捉えるかということに非常に気を遣いました。
一面的な歴史理解ほど危険なものはありません。

150年以上昔の出来事になると、もう目撃者は生存していません。
明治維新を目撃した人も、西南戦争に参加した人も、もう生きていません。

記録は残っています。
しかしその記録が客観的に書かれているかどうかは全く不明です。
映像・写真であれば撮影者の主観は影響されませんが、そのシーンの背景がわからず、どの文脈で撮影されたものかわからないので、その映像・写真を見ている人の判断に任されます。
または、その映像・写真を提示する人の主観が影響します。

「1942年 ワルシャワ 首をつったユダヤ人」というタイトルの写真があるとします。
その写真には首をつったユダヤ人以外何も写っていないとします。

これだけの情報で、多くの人が「ナチスが殺したんだ」と考えると思います。
死んだユダヤ人=ナチスのしわざという知識がそう思わせます。

しかしユダヤ人を迫害したのはナチスだけではありません。
もちろんナチスがもっとも過激に厳格に迫害しましたが、ヨーロッパには根強い反セム主義がはびこっており、ナチスに乗じてユダヤ人を迫害した人たちはたくさんいます。
一部のポーランド人も彼らを迫害しています。

残虐非道な行為をしたのは何もナチスに限りません。ドイツ国防軍やソ連軍も程度の差はあれ、残虐行為に及んでいます。

もしかしたらソ連軍が、ポーランド人が、殺したのかもしれません。

しかし全く別の見方をすることも出来ます。
このユダヤ人は「殺された」のではなく「自殺した」のかもしれません。人生に絶望し、自ら命を絶ったのかもしれません。

このユダヤ人に何が起こったのか、写真だけでは何もわかりません。
撮影者が一部始終を目撃し、その出来事をメモにでも残っていれば別ですが。

歴史というのはそういうもので、我々には結果しか残されていません。そこから過去を学ぼうとする姿勢は、同時に物事を多角的に考える頭を育てるのです。

過去から学ぶことの意味はすでに何度も述べているので省きますが。

有名な勘違いに、後白河法皇の例があります。
これはまだ学問的に断定されていないので「勘違い」と言えるものではないですが。

一般的には、後白河法皇は、頼朝からも「天下一の大天狗」と恐れらた策略家という解釈が多いそうです。
この「天下一の大天狗」という表現は、頼朝が法皇に宛てた手紙の中に出てくるものです。
この手紙のやり取りは、後白河法皇が壇ノ浦の合戦の後、義経に褒賞として判官の位をやったことに抗議する頼朝の手紙から始まります。

当時、合戦による褒賞は、法皇から頼朝にまとめて渡され、その配分は頼朝が決めるということで両者の間で合意されていました。
そうすることで頼朝の権威を高めることが出来るからです。
法皇が勝手に褒賞を鎌倉武士にやってしまうと、頼朝のいうことを聞かなくてもいいじゃん、と考える武士が出てくるから頼朝としては大変困る(そこに義経は気づかなかったのですね。だから政治的に無能だっていわれるのです)。

「どうして約束をやぶるんですか」と怒りの手紙を法皇に宛てたところ、法皇は言い訳がましく「いや、アレは私がやったんじゃなくて、天魔の仕業なんです」と返事をよこした。
それを皮肉った頼朝が「あーそうですか、天魔の仕業というのなら、天下一の大天狗ですね」と返事を書いたのです。

頼朝が「大天狗」と言ったのは法皇が「天魔の仕業」といったのに呼応した表現であり、彼が法皇を恐れていたと言う証拠としては弱いものになります。

すべて永井路子先生の「つわものの賦」から学びました。

その流れを全く省いて「天狗」という表現だけ抜き出してしまったのでこういう理解が広まったものと思われます。

しかし法皇(あるいはその周辺)が、鎌倉の権威が高まるのを恐れて義経に判官をやり、分裂を図ったというのは考えられます。
ただ長いものに巻かれただけかもしれませんが。

ものごとを断片的に捉えて理解したつもりになるのはとても危険なことです。カンタンに洗脳されてしまいます。
たとえば私の後白河法皇の理解も、永井路子先生に大きく影響されています。
司馬遼太郎は法皇を策士として小説「義経」の中で描いてましたが。

学者じゃないから決定的な事を述べることはできませんが、いろいろ知識を得て自分で判断することは、総合判断力につながると思います。
情報の氾濫している現代社会で、いかに有効な情報を選び出すことが出来るか、
会社の上司と先輩と同僚と、言ってることが全然違う中で誰のどの話が有効なのか、

後白河法皇がどんな人物だったかは生きていく上での必須情報ではないけれど、
そういう判断力というのは社会で生きていく上で必須の能力だと思います。

それを育てることが出来るのが、歴史の勉強なのだと私は考えています。

コメント

紅緒
紅緒
2006年11月13日23:57

またかよ!って思ったよ、三村ばりに(笑)

めるちゃんさ、コメンテーターになれば?歴史コメンテーター。
で、テリー辺りと激論交わしてみてよ?

せきやん
せきやん
2006年11月14日8:02

カキコ有難うございました。
すみません。
実は天狗は孫引きでご教示有難うございました。
お勉強にさせていただき助かりました。
昨夜はチャップリンの独裁者1940年作品をやってました。
地球をもてあそぶ独裁者と欧州で生活する人々を思い浮かべ
平和裏に暮らすことの難しさ、人間の愚かさを感じました
今後とも教えてください。

メルヘン
メルヘン
2006年11月14日23:47

紅ちゃん→
エンドレスでいくらでも語りますよ。
「歴史コメンテーター」ってなんか怪しい職業だな。
コメンテーターってそもそもうさんくさくね?
その集大成がテリー。たまにいいこと言ってるけどね!

せきやんさま→
後白河法皇は結局利口だったのかバカだったのか断定されてませんが、今様に明け暮れるくらいだから時勢を読む目はなかったんじゃないかと個人的には思っとります。

歴史から学べることはたくさんあるのですが、それを実践するのはとても難しい。と歴史がこれまた教えてくれます。

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