この本も結局1週間で読んでしまった。
時間がたっぷりあるので好きなだけ本が読めるなんてステキ。
この前に読んだ新書「国際歴史教科書対話」とだいぶ重複する内容ではあったけれど、新書のほうがドイツ=ポーランド対話の内容について詳細に記述されているので、読む順番としては間違っていなかったと思う。
対話の中でどのような勧告が出されたのか、こっちの本には具体的にはあまり書かれていないので。
新書のほうはどうも最終的な結論というか、著者の主張するところがよくわからなかったのですが、こちらはわかりやすかったです。
関係ないけど、著者がとても若い。若いって、歴史の分野にしてはってことですよ。
たいていこういう本て、なんか60年代からすでに権威になってるようなじーさんが書いてるイメージがあったのですが、そーいった権威の先生方の助力を得て本の出版にこぎつけたそうです。
すごいなぁ。ていうかそういう権威の先生にお世話になれるなんていいなぁ。
やっぱ東大だよなぁ。
それはともかく、戦後ドイツがどのような歴史教育を行ってきたか、ナチス時代をどう教えるのかにとどまらず、ホロコーストの犠牲者はユダヤ人だけではないことや、ドイツ人もまた被害者であった側面をどのように教科書に記述するのか、
隣国との摩擦をどのように解消していくのか、というドイツの試行錯誤がよくわかります。
それだけであれば前出の新書で充分ですが、この本では冷戦体制の崩壊、EUの東方拡大に伴うヨーロッパおよびドイツ社会の変化に対する、これまでの歴史教育(ナチスドイツの罪をドイツ人としてどのように受け止めるか)の枠組みの変化、教科書対話の多様化などにも言及しています。
ドイツは今や人口の10%が外国人であり、ドイツに帰化した外国人もたくさん住んでおり、ナチスの罪とは直接関係ない人たちがかなりの数になっています。
そういった人たちにとっては、これまでのドイツ人のアイデンティティであった過去の克服を同じように受け入れることは難しいというわけです。
ホロコースト問題についても、ドイツ人だけのものではなくヨーロッパ全体で考えていかねばならない時代になっている一方、
そうすることでドイツ人の罪を相対化してはならないというジレンマを抱える時代になっているのです。
いやーヨーロッパって面白い。
陸続きであり、歴史が相互に絡み合っているからこそこういった前向きな対話が出来るんだろうな。
アメリカの一国支配体制が崩壊に向かっている今、ヨーロッパは拡大(サイズ的にも中身的にも)していかねばならない。
そのなかで、過去に目を奪われて罪のなすりあい、足の引っ張り合いをしていては何も生まれないということをヨーロッパ各国が認識しているのではないでしょうか。
もちろん個人レベルではそうはいかないと思うけど、国家レベルでは少なくともそういう認識があると思います。
もちろんドイツの歴史に対する姿勢を手放しで支持するわけではないし、それをそのままアジアに適応したほうが良いというわけではないけれど。
地理的要因だったり歴史的背景だったり経済情勢だったりがアジアとヨーロッパでは全然違うから、そう簡単にはいかないよ。
ヨーロッパでの歴史教育が、「ドイツ史」や「フランス史」の枠を超えようとするのは、EU拡大があるからこそだと思うのよね。
そういう外的要因のないアジアでは難しいと思うし、ヨーロッパのように歴史が入り乱れてないからね。
中国はずっと中国だったし、朝鮮半島は朝鮮半島で歴史がある。
モチロンいろんな交流(良くも悪くも)はあったけれど、たとえば大陸から日本まで含めて大帝国だったことはないから、
「中国史」とか「日本史」という枠組みがヨーロッパほど不自然ではないわけ。
そうなると自国史を超える枠組みを考えようっていうのもなかなか難しいと思うのです。その枠で充分納まってるんだもん。
ヨーロッパの例を参考にしつつ、アジアでの対話の形を対話によって検討していくしかないと思うのです。
しかしそれには色々な政治的要因が多すぎて、今ちょっと難しいんだと思うんです。
日本がアメリカの傘の下にいようとする限りは、難しいと思います。
歴史って単純に教科書や本の中だけでは考えられないんだよ。
このオモシロさは一体どうやったらみんなに伝わるのかしら。
時間がたっぷりあるので好きなだけ本が読めるなんてステキ。
この前に読んだ新書「国際歴史教科書対話」とだいぶ重複する内容ではあったけれど、新書のほうがドイツ=ポーランド対話の内容について詳細に記述されているので、読む順番としては間違っていなかったと思う。
対話の中でどのような勧告が出されたのか、こっちの本には具体的にはあまり書かれていないので。
新書のほうはどうも最終的な結論というか、著者の主張するところがよくわからなかったのですが、こちらはわかりやすかったです。
関係ないけど、著者がとても若い。若いって、歴史の分野にしてはってことですよ。
たいていこういう本て、なんか60年代からすでに権威になってるようなじーさんが書いてるイメージがあったのですが、そーいった権威の先生方の助力を得て本の出版にこぎつけたそうです。
すごいなぁ。ていうかそういう権威の先生にお世話になれるなんていいなぁ。
やっぱ東大だよなぁ。
それはともかく、戦後ドイツがどのような歴史教育を行ってきたか、ナチス時代をどう教えるのかにとどまらず、ホロコーストの犠牲者はユダヤ人だけではないことや、ドイツ人もまた被害者であった側面をどのように教科書に記述するのか、
隣国との摩擦をどのように解消していくのか、というドイツの試行錯誤がよくわかります。
それだけであれば前出の新書で充分ですが、この本では冷戦体制の崩壊、EUの東方拡大に伴うヨーロッパおよびドイツ社会の変化に対する、これまでの歴史教育(ナチスドイツの罪をドイツ人としてどのように受け止めるか)の枠組みの変化、教科書対話の多様化などにも言及しています。
ドイツは今や人口の10%が外国人であり、ドイツに帰化した外国人もたくさん住んでおり、ナチスの罪とは直接関係ない人たちがかなりの数になっています。
そういった人たちにとっては、これまでのドイツ人のアイデンティティであった過去の克服を同じように受け入れることは難しいというわけです。
ホロコースト問題についても、ドイツ人だけのものではなくヨーロッパ全体で考えていかねばならない時代になっている一方、
そうすることでドイツ人の罪を相対化してはならないというジレンマを抱える時代になっているのです。
いやーヨーロッパって面白い。
陸続きであり、歴史が相互に絡み合っているからこそこういった前向きな対話が出来るんだろうな。
アメリカの一国支配体制が崩壊に向かっている今、ヨーロッパは拡大(サイズ的にも中身的にも)していかねばならない。
そのなかで、過去に目を奪われて罪のなすりあい、足の引っ張り合いをしていては何も生まれないということをヨーロッパ各国が認識しているのではないでしょうか。
もちろん個人レベルではそうはいかないと思うけど、国家レベルでは少なくともそういう認識があると思います。
もちろんドイツの歴史に対する姿勢を手放しで支持するわけではないし、それをそのままアジアに適応したほうが良いというわけではないけれど。
地理的要因だったり歴史的背景だったり経済情勢だったりがアジアとヨーロッパでは全然違うから、そう簡単にはいかないよ。
ヨーロッパでの歴史教育が、「ドイツ史」や「フランス史」の枠を超えようとするのは、EU拡大があるからこそだと思うのよね。
そういう外的要因のないアジアでは難しいと思うし、ヨーロッパのように歴史が入り乱れてないからね。
中国はずっと中国だったし、朝鮮半島は朝鮮半島で歴史がある。
モチロンいろんな交流(良くも悪くも)はあったけれど、たとえば大陸から日本まで含めて大帝国だったことはないから、
「中国史」とか「日本史」という枠組みがヨーロッパほど不自然ではないわけ。
そうなると自国史を超える枠組みを考えようっていうのもなかなか難しいと思うのです。その枠で充分納まってるんだもん。
ヨーロッパの例を参考にしつつ、アジアでの対話の形を対話によって検討していくしかないと思うのです。
しかしそれには色々な政治的要因が多すぎて、今ちょっと難しいんだと思うんです。
日本がアメリカの傘の下にいようとする限りは、難しいと思います。
歴史って単純に教科書や本の中だけでは考えられないんだよ。
このオモシロさは一体どうやったらみんなに伝わるのかしら。
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