ついに!
ドイツ行き3日前にしてついに読了しました、チャーチルの自伝。
←これはダイジェスト版ですが、河出書房から4冊出てます。
第4巻は、ノルマンディー上陸作戦の準備段階から、45年7月にチャーチルが選挙で負けるまでです。
首相を辞任した後の話もあります。
ヤルタ会談以降、スターリンは無茶するわ、ルーズベルトは体調を崩すわ、総選挙は近いわで忙殺される日々が記録されています。
ドイツが無条件降伏をした後も、チャーチルは苦悩を続けていたことが明らかになっています。
うーむ。
第4巻には、特に考えさせられる言葉がたくさん詰まっていました。
原子爆弾の登場は、チャーチルにとっては歓迎すべき出来事だったことを認めつつも、その後の影響をしっかり考慮すべきものだという認識をもっていたこと。
パレスチナ問題について、シオニスト運動を支持する立場にあったこと。(ヨーロッパ人は結局、自分の周りのユダヤ人をエルサレムに追いやりたかっただけなのか?)
アジア各国の独立。共産主義の台頭。
チャーチルは、難しい局面となったポツダム会談の途中で選挙に負けたため、米ソとの交渉は途中から後任のアトリーが行うことになったのを非常に残念がっていました。
なんといっても、ドイツ降伏直前にルーズベルトを失ったことが、戦後の世界形成に大きな影響を与えたようです。
チャーチルは首相として主な問題を取り扱ってきたけれど、自分ひとりで全部抱えてたわけではなく、それこそアトリーをはじめとする周囲の人物も多少は巻き込んできたわけですが、ルーズベルトはそうではなかった。全部自分でやってきたので、45年4月12日に彼が亡くなったとき、トルーマンはヤルタ会談の取り決めや、それ以前にルーズベルトとチャーチルが話し合ってきたことをぜんぜん把握していなかった。
だからもちろん、スターリンがどういう存在で、今後どういうことをするのか、ほとんど把握していなかった。
これが、戦後の世界のあり方を話し合う上で非常に大きな弊害を引き起こしたとチャーチルは認識しているようです。
ヒトラー自殺の、たった3週間前ですよ、ルーズベルトの死は。
何の因果か、ムッソリーニの処刑は4月25日、ヒトラー自殺は4月30日。5年以上にわたって世界を動かしてきた首脳たちが、たった3週間の間に3人も斃れているのです!チャーチルも驚いてましたが、「少なくともイタリアではニュルンベルク裁判の手間が省けた」とあり、ちょっと笑えた。
ナチスという巨大な、共通の「敵」に打ち勝つことに精一杯であり、戦後世界のあり方まで詰めきれていなかった民主主義社会と、衛星国家を作り自国の防衛を目指していた共産主義社会が、ヤルタでぶつかるのは当然のことだったのかもしれません。
結局、ナチスが倒れた後は、共産主義という敵が新たに誕生しただけで、「敵の首が挿げ替えられただけにすぎない」とチャーチルは回想しています。
これは、現在ナゾの中東強硬政策を取るアメリカにとって耳の痛い話なのではないでしょうか。
「アルカイダ」「ビンラディン」「ザルカウィ」を倒したところで、別のテロ組織が台頭するだけでなのではないでしょうか。
人間は、生きて学ぶものであるとチャーチルは残しています。
現代社会は、過去に学ぶことができているのでしょうか。
字が小さくて全4巻で、軍事的な内容も出てきて一部難解な部分もあるけれど、これは死ぬまでに1度読んでおくべき本だと思いました。現代社会の基盤を形成する過程がよくわかる1冊。
ドイツ行き3日前にしてついに読了しました、チャーチルの自伝。
←これはダイジェスト版ですが、河出書房から4冊出てます。
第4巻は、ノルマンディー上陸作戦の準備段階から、45年7月にチャーチルが選挙で負けるまでです。
首相を辞任した後の話もあります。
ヤルタ会談以降、スターリンは無茶するわ、ルーズベルトは体調を崩すわ、総選挙は近いわで忙殺される日々が記録されています。
ドイツが無条件降伏をした後も、チャーチルは苦悩を続けていたことが明らかになっています。
うーむ。
第4巻には、特に考えさせられる言葉がたくさん詰まっていました。
原子爆弾の登場は、チャーチルにとっては歓迎すべき出来事だったことを認めつつも、その後の影響をしっかり考慮すべきものだという認識をもっていたこと。
パレスチナ問題について、シオニスト運動を支持する立場にあったこと。(ヨーロッパ人は結局、自分の周りのユダヤ人をエルサレムに追いやりたかっただけなのか?)
アジア各国の独立。共産主義の台頭。
チャーチルは、難しい局面となったポツダム会談の途中で選挙に負けたため、米ソとの交渉は途中から後任のアトリーが行うことになったのを非常に残念がっていました。
なんといっても、ドイツ降伏直前にルーズベルトを失ったことが、戦後の世界形成に大きな影響を与えたようです。
チャーチルは首相として主な問題を取り扱ってきたけれど、自分ひとりで全部抱えてたわけではなく、それこそアトリーをはじめとする周囲の人物も多少は巻き込んできたわけですが、ルーズベルトはそうではなかった。全部自分でやってきたので、45年4月12日に彼が亡くなったとき、トルーマンはヤルタ会談の取り決めや、それ以前にルーズベルトとチャーチルが話し合ってきたことをぜんぜん把握していなかった。
だからもちろん、スターリンがどういう存在で、今後どういうことをするのか、ほとんど把握していなかった。
これが、戦後の世界のあり方を話し合う上で非常に大きな弊害を引き起こしたとチャーチルは認識しているようです。
ヒトラー自殺の、たった3週間前ですよ、ルーズベルトの死は。
何の因果か、ムッソリーニの処刑は4月25日、ヒトラー自殺は4月30日。5年以上にわたって世界を動かしてきた首脳たちが、たった3週間の間に3人も斃れているのです!チャーチルも驚いてましたが、「少なくともイタリアではニュルンベルク裁判の手間が省けた」とあり、ちょっと笑えた。
ナチスという巨大な、共通の「敵」に打ち勝つことに精一杯であり、戦後世界のあり方まで詰めきれていなかった民主主義社会と、衛星国家を作り自国の防衛を目指していた共産主義社会が、ヤルタでぶつかるのは当然のことだったのかもしれません。
結局、ナチスが倒れた後は、共産主義という敵が新たに誕生しただけで、「敵の首が挿げ替えられただけにすぎない」とチャーチルは回想しています。
これは、現在ナゾの中東強硬政策を取るアメリカにとって耳の痛い話なのではないでしょうか。
「アルカイダ」「ビンラディン」「ザルカウィ」を倒したところで、別のテロ組織が台頭するだけでなのではないでしょうか。
人間は、生きて学ぶものであるとチャーチルは残しています。
現代社会は、過去に学ぶことができているのでしょうか。
字が小さくて全4巻で、軍事的な内容も出てきて一部難解な部分もあるけれど、これは死ぬまでに1度読んでおくべき本だと思いました。現代社会の基盤を形成する過程がよくわかる1冊。
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