クラッシュ

2006年2月17日 映画
アカデミーノミニー鑑賞ラッシュです。
今日はクラッシュを見にいきました。

ご年配の方が多かったです。
平日の映画館てこうなのね。

さて内容ですが、
前半は、胸が悪くなるような人種差別描写が続きます。
見ていてつらくなります。悲しくなります。
全体的に、アメリカの抱える人種問題を浮かび上がらせている中に、最後は小さな希望の光、悪い人ばかりではないのだよ、という希望が差し込む話です。
どんよりした曇り空の日に、ちょっと薄日が差す感じ。
言葉にするとチープだな。

広告のように、涙で身体が震えて立ち上がれない、なんてことはなかったけれど、良い映画だと思います。

人種問題も、日本人にはなかなか想像がつきにくいと思っているのです。
すぐ「日本人には・・・」と言いますが、日本てのはとても特殊な国だと思うのです。人も文化も。

もちろん日本には外国人もいるわけだけど、
いわゆる「日本人」てのは漢民族、黄色人種なわけじゃない。
大多数がね。
でも、アメリカ人てざっくりいっても、その人種はいろいろだし、人種ごとにいろんな歴史や事情を抱えているわけじゃないですか。
でもみんな同じ「アメリカ人」なわけで。
それでも分かり合えない、ぶつかり合う人たちの人生が、ちょっとずつ交錯する映画でした。

人のぶつかり合いと、車の衝突事故を重ねているところが非常にウマイ!と思いました。シロートながら。

ニューヨークに行ったとき、お店の店員にほとんど白人がいなかったのを思い出しました。
5番街のデパートくらいじゃないかな?白人がいたのは。
そういうのは、アメリカだけじゃなくて、ドイツでもそうだったと思います。

同じ状況っていうのは日本にも十分ありうることで、強盗事件の犯人が外国人だというニュースが続けば、外国人は信用ならない、という感情が多数を占める可能性が高くなる。長く鎖国が続いた日本人はそういう異質なものをなかなか受け入れない、排他的なところもあると私は思うので、ますます人種間の溝が広がる。

偶然にも、通園途中の園児が中国人に刺殺されるという事件が発生しました。
読売新聞夕刊によると、犯人である同級生の母親は、日本語が不便で、周囲に溶け込めず悩んでいたようだとのことです。

日本語が不便なのにどうして彼女が悩んでいたことがわかるんでしょうね。悩んでるなと解ったら、どうして手をさしのべなかったのでしょうね。

もちろん犯人の行なったことは許されざる凶行です。
しかし、犯人をかばうつもりはないですが、
日本人ではない、日本語が話せないということで犯人を疎外してきたのではないかなと思ってしまいます。

じゃあ自分だったら手を差し伸べることができるのかと言えばわからないし、今日の夕刊を見ただけですので動機もわからないし普段の様子もあまり詳しくわからんのであんまり勝手なことを言ってはイカンのですが。

こういった事件が発生すると、「中国人は危ない」という偏った感情が広がって、共生がまた難しくなってしまうのではないかと思います。
すべての中国人が犯罪者ではないのに、中国人が暮らしにくくなってしまう。
アメリカに住むアラブ系アメリカ人のように。

この映画もまた寛容の精神を思い起こさせるものでした。

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