人生とは政治だ。
今日ふとそんなことを思った。

「義経」を相変わらず読んでるのですが、
旗揚げから征夷大将軍になるまでの間、頼朝はずっと政治を考えていたですよ。
頼朝の叔父である行家が尾張で起ったとき、頼朝はどういう態度を示すか考えるわけよ。
義経はバカだから、叔父を助けて出兵するしか思いつかないんだけど。
頼朝は、ここで行家を追うように起てば、周囲は「叔父についていった」と思われる、つまり行家を上に見る。
捨て置いたとしても、勢いにのった行家の上洛が成功でもしたら、頼朝の地位は危ぶまれる。
源家の棟梁は2人もいらないでしょ。

どこにどんな態度をとるのが最善か、常に考えてるわけよ。
一介の流人から天下草創を目指すわけだから、自然冷静に慎重に手堅く自分の道を行くわけよ。

政治的才能が哀れなほど欠けていた義経や義仲は、そういう目を持っていなかったから、頼朝の考えていることが理解できなかったし、頼朝のような行動にも出られなかった。
源家の棟梁たる器ではなかったわけですな。

そんな話を読んでるうちに、自分の生き方も同じだなと思った。
天下草創と一介のリーマンの人生を一緒と言ってしまうのはおこがましいですが。

どこにいい顔をしておくべきか、
どのくらいの間合いを保つか、
どこに恩義を売っておくべきか、愛想をふりまいておくべきか。

政治的な目を持っていないと、義経のように大将の手足に使われて斬られるかもしれないし、後白河法皇のように大天狗とバカにされちゃうかも。

「義経」の中では、後白河は天下の策略家とされてるけどね。
目前の巨大勢力に屈しやすいだけに見えるけど。

案外そのほうが長生きするのよね。事実後白河も長生きしてるしね。

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