ベルリンで歴史を考える
ベルリンで、歴史を感じるのはとても難しいと私は思います。
ウィーンのようにバロックやゴシックを感じられないという意味ではなく、
他のどの大都市よりもずっと多くの歴史的事件が詰まっている街のはずなのに、それを感じるにはかなり慎重に街を歩かなければ気づくことが出来ないということです。
歴史に対して能動的でなければなりません。

画像は、ヒトラーの首相官邸があった場所です。
右の案内板に建物の歴史が書いてあるほかには、ここに首相官邸があったことをうかがわせるものは何もありません。

そのほかに例としてベルリン宮殿があります。
ベルリンは、ドイツ帝国(神聖ローマ帝国が崩壊した後にプロイセンを中心として成立した国。100年弱で崩壊)の首都でした。
帝国なので皇帝がいます。皇帝がいるということは宮殿があるということです。
ベルリンの宮殿がどこにあったか、地球の歩き方を読んだだけでは絶対にわかりません。
まー確かに、ベルサイユやバッキンガムほど歴史の重みはないけどさ。
ベルリンの宮殿があったところは戦後東ベルリンの国会議事堂となり、現在は取り壊し工事が進んでんのか進んでないのかわかりません。
しかし取り壊し後に、どんなカッコイイデザインビルをつくるか、どんなステキな公園を作るか一生懸命考えてるところのようです。
というか、自分もよく知りません。
おととい本を読んでいて、「3月革命がドイツにも波及し、市民が宮殿前広場に集まった」というくだりを読んで、宮殿がどこにあったのか考えはじめたくらいです。

さらなる例としては、Potzdamer Platzが挙げられます。
ここは、東西分裂の間何度も悲劇の舞台となったと有名ですが、今となっては見る影もありません。
新しいドイツ的高層ビルが立ち並び、観光客が往来し、壁のあった場所には溝があるだけで、周りのビルに目を奪われている間は決して気づくことがありません。
事実私は友達に教えられるまでそんな溝があるなんて知りませんでした。
U-Bahnの駅の出口の向かいにベルリンの壁が残されているのですが、いかにも「申し訳程度」という感じがします。

ベルリンの歴史が失われた原因は徹底的に破壊された2次大戦というよりもむしろ、東西分割統治にあるのではないかと思います。
同じように徹底的に破壊されたワルシャワは、市民が一体となって旧市街の再建に力を注ぎ、見事に古い街並みが復活しています。
戦後のベルリンはそれが出来なかった。
一致団結することも出来ず、資本主義社会では競争原理が働いて新しいものが重視され、
社会主義社会では社会主義的建設計画が実施されていきました。
東の大通りであるKarl-Marx-Alleeに行ったときにも同じことを言ったけれど、社会主義的見栄っ張りな建物がずらーっと並んでおります。
まるでモスクワにいるかのような雰囲気です。

戦争前の歴史は失われ、新しい歴史が刻まれていったのが冷戦時代だったと思います。

そして再統一された今、さらにその新しい歴史が失われつつあるのではないかと思います。
DDR時代に見られた社会主義的モニュメントは徹底的に取り払われ、いまやマルクス・エンゲルス像を残すのみになっています。

歴史は何も、チェックポイントチャーリーだけで起こっていたわけではないはずです。
ドイツにはナチスの犠牲者だけが存在したわけではないはずです。
そこには加害者もいたし、目撃者もいたし、共産主義者もいたはずです。

今のベルリンは、ロンドンやニューヨークに追いつけ追い越せと必死になっているように思われます。
大切なのはガラス張りのビルではなく、そんなベルリンの歩んできた足跡だと思うのですが。

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