沙羅双樹の花の色

2004年1月6日
今日は腰が痛い。
途中で帰っちゃおうかと思ったけど、
さすがに年始の挨拶をさぼるわけにはいかないので
自分を奮起させて行きました。
ていうか、今朝起きたら、出発する予定の時間だったんだけどね。

相変わらず道路がすいすいで救われました。
大森まで行きは1時間、帰りは40分。
最短記録まであとちょっとだったな。

話は変わりますが、
今朝TBSで、消えゆく日本語というテーマの特集をやってた。
今は使われなくなってきた言葉、
たとえば

別嬪(べっぴん)
おきゃん
ちょこざいな

とかなんとか。
街頭インタビューでおばーちゃんたちが、
「べっぴん?あぁそれはアタシみたいなのを言うのよ。
ぎゃっはっは!」
と回答してましたが、それはさておき
そういう日本語がなくなってしまうのは寂しいねぇ、とお年よりの皆さんは口を揃えておっしゃられていました。

しかし、それはおかしいと思います。
言葉は文化で、生き物だということをナゼ認識しないのでしょうか。

春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて紫立ちたる雲の細くたなびきたる。

今↑こんな風にしゃべる人、いないじゃん。
ながーい目で見れば、使われなくなった言葉なんてゴマンとあるわけでしょ。
それをひとつひとつ嘆いていたら、文化の発展は望めなくなってしまいます。

言葉は文化です。
文化は変化するのです。
それの何が寂しいわけ?

見直すべきは、使われなくなった言葉ではなく、
おかしな敬語なのではないでしょうか。
言葉の乱れは正すべきですが、言葉の変化は認めるべきだと思います。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。

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